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NO2811 江戸時代の教育に学ぶ(7)

人種が解るマラソン大会

人種が解るマラソン大会 21日(木)暑さが戻ってきた。高校野球は新潟日本文理高校しか見ない。今日は9回裏、劇的な逆転2ランホームランでベスト8に進出した。このチームは監督が当初から全国制覇と公言しているので、ひょっとしたらという期待を持たせる。期待して応援しよう。

 

 今の日本の教育がいかに間違っているか、長善館の歴史を通して明らかにしたい。長善館は1833年(天保4年)から1912年(明治45年)の80年間にわたって旧西蒲原郡粟生津(現燕市)に開設された私塾である。私の故郷吉田から車で10分の距離にある。

 

 長善館と創設者・鈴木文臺(文台=ぶんたい)の名は知っていたが、これほど世に大きな影響を与えた私塾であったとは、今回調べるまで知らなかったことが恥ずかしい。文臺は1796年(寛政8年)粟生津の医師・鈴木見義の次男として生まれる。大きな影響を受けたのは良寛さんだった。

 

マレー人のグループ

マレー人のグループ 良寛が諸国遍歴から帰郷して、国上寺の五合庵に住み始めたのは40歳を過ぎてからだが、その良寛さんと出会ったのが18歳、良寛56歳の時である。良寛さんのパトロンの一人解良淑問宅での勉強会であった。良寛はこの時文臺を褒め、江戸遊学を勧めることになる。

 

 文臺は良寛が74歳で没するまで、生涯師と仰ぐことになるが、心としたのは「慈悲の心」「平等の心」「無私の心」だったという。文臺が江戸遊学から帰国後粟生津に開いた長善館と国上寺は歩いて行ける距離だったから、文臺は時折、乙子神社の良寛寓居を訪ねて、教えを乞うている。

 

 明治初期の新潟は上中下越に分かれ、下越の中心が西蒲原郡(見付~新潟関屋)であり、郡都は巻町にあり、粟生津は交通の便がいいとは言えない位置にあった。にも拘らず、塾生は県内はおろか、熊本、函館、高崎、岡山、東京、横浜など全国から集まった。

 

マレー人に占拠された公園

マレー人に占拠された公園 今の教育の不幸の一つは生徒も教師も相手を選ぶことができないことである。当時は県内だけに私塾が167もあり、寺子屋に至っては1000か所を超えていたとみられる。生徒は文臺の人柄や教授法を慕って集まってくるわけで、刈羽の三余堂とともに県下に知られていた。

 

長善館の名は文臺が中国の礼記に出てくる言葉から採ったもので「教育は、人の良い所を伸ばし、欠点を補ってやることだ」文科省の役人や今の教育関係者は肝に銘じてこの言葉をかみしめるべきではないか。当初は漢学中心だったが、後、数学や英語も加わった。

 

 文臺の教えは良寛がそうであったように、困った人を救おう、人のためになろうという学問で、生徒の良い所を伸ばせば、悪い所は自然に消えてしまうという考え方に立ち、一人一人の素質や能力を精一杯伸ばすことが基本方針だった。グループや討論も大事にした。

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