CH農業試験場のトマト農園
23日(土)午後BS1で世界のドキュメンタリーシリーズでヒトラー政権誕生やユダヤ人迫害の歴史前・後編、一方的に解雇されたユダヤ人女教師が自ら学校を設立し、ユダヤ人の生徒をどう守り抜いたかの3本を視聴。どうしても安倍政権と重ねて観てしまう・。
というのも、ヒトラーの演説の各所に「ドイツ人を守る」とか「平和を守る」などの言葉が登場するからだ。そして、最後は国民に覚悟を求め、軍備増強の口実にしていく。最初は批判的だった政党もマスコミも独裁政権の前に屈し、むしろ、政権を後押しする。
先日も書いたが、ドイツはこうした加害の歴史を語り継ぐ努力をしているのに、日本では被害の歴史ばかりを強調し、ヘイトスピーチ、アンネの日記やはだしのゲンへの攻撃などは野放しにしている。今日の地元紙でも作家で映画監督森達也氏は加害の歴史も語り継ぐべきだと。
花卉園
寺子屋の歴史は室町末期まで遡れるが、全国的な動きになるのは江戸時代中期以降のようである。特に私塾は幕末に集中している。シーボルトの鳴滝塾、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾など幕末の時代変革に大きな影響を与えた。長善館も全国に名を知られた私塾だった。下田村出身の世界的な漢学者諸橋轍次が「越北の鴻都」と称したほどだった。
長善館のある粟生津は幕府時代は長岡藩に属し、文臺が殿様から表彰されたり、講義を頼まれ、河井継之助の最期を看取る塾生もいたほどだが、長善館は基本的には勤王派だった。というより、日本の植民地化の危機を前に、西洋の学問を学ぶ必要性で一致していた。
戊辰戦争が始まり、否応なしに戦渦に巻き込まれていく。長善館日記には68年5・12砲声止まず、13・14同じく、15会津敗退兵20人牧ケ花(隣村)通過、16地蔵堂(隣町)で砲声、17砲声止まず。18砲声激烈、課業休まず。砲声の下でも授業をやっているのだ。
野生の蘭を集める
新潟県の歴史は水との闘いだった。特に恐ろしき信濃の水(信濃川と呼んだ)は確実に氾濫し、田畑を埋め尽くし、家や命を奪った。この水を分ける分水工事は越後の人々にとっては悲願だった。江戸時代に完成した新川、1931年の大河津分水、72年の関屋分水。
今新潟市をはじめ周辺市町村の水の脅威は取り除かれたが、それは長い長い先人たちの労苦の賜物である。良寛さんも常に心を痛めていた問題が信濃川の洪水問題であり、その心を継いだ長善館の出身者が最大の心血を注いだのが大河津分水の開削であった。
国会議員となって尽力した人に小柳卯三郎、萩野左門、大竹貫一、県会議員ともなれば、一時は県会の半数が長善館出身者と言われるほどだった。新潟大学医学部の礎を築いた竹山屯や長谷川泰も長善館出身者である。
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