夏の終わりの日本海
20日(土)快晴。今朝は珍しく起きられず、散歩中止。お昼頃おにぎりを持って、佐潟に行き、全周5.5キロを歩いてきた。一時間半、9700歩。誰にも会わず、ひたすら鳥のさえずりを聞きながら。スイカもタバコも収穫は終わり畑は一面ネギと大根の葉が青々と。
スコットランド独立問題は住民の投票の形で決着したのは民主主義の在り方を示すもので、多くのことが学べた。ところが、これにコメントを求められた日本の菅官房長官は「我が国にはなじまない」と堂々と恥ずかしげもなく言うあたりが、さすが日本の保守政治家と言うべきか。民度の低さを世界に示す?中国と同じではないか。
沖縄独立論や原発の是非を国民投票なり、住民投票を求める動きに対する予防線だろうが、日本の保守政治家の頭は前近代で、県内でも巻原発やプルサーマル導入を巡る議論の中で自民党の政治家を中心に、原発は国策で住民投票にはなじまない論を流してきた。
風の力でせり出した砂山 今回のスコットでもう一つ注目すべきは16歳以上の人々に選挙権を与えたことだ。高校生ともなれば、立派に物事を判断する意思も能力もある事を証明した。日本は18歳選挙権さえ実現しない。その理由が未熟だというのだから、若者はバカにされている。国民投票法も憲法改正だけだ。原発など国論を二分するものは国民投票しかない。
私は毎日が日曜日だから、慰安婦問題に関する研究書を読み漁り、その「事実」をブログを通して紹介したり、論争に参加するくらいのことはできる。今最新の研究はやはり中大の吉見義明氏と関東学園大の林博史氏だと思う。氏等は防衛省等の未公開の史料を追い求めている。
軍慰安婦制度の指揮命令系統が明らかになれば、政府・軍の関与が証明される。断片的には明らかになっている。1932年3月上海派遣軍の岡村寧次参謀副長や岡部直三郎高給参謀が「陸軍慰安所をつくる指示をだし、永見参謀が設置に当たった。(岡部日記、岡村資料)
砂山に産業廃棄物処分場? 37年12月中支方面軍(松井岩根大将=東京裁判で処刑)は軍慰安所設置の指示をだし、これを受けた上海派遣軍では参謀二課が案をつくり、参謀の長勇中佐に南京での軍慰安所設置を依頼(南京戦史資料集)第10軍でも潮州に慰安所を設置、中国人を徴集(同前)した。
「従軍慰安婦」の名付け親故・千田夏光氏は生前著書を著すに当たり、元軍医大尉・麻生徹男氏、元関東軍参謀・原善四郎氏、元総督府関係の朝鮮人など韓国や日本国内を歩き回って、多くの関係者に取材して書いたことは言うまでもない。当時者でなければ知り得ない話が沢山出てくる。
原参謀は記憶がはっきりしないと口ごもりながら、必要慰安婦の数は2万人とはじきだし、飛行機で朝鮮まで調達に出かけたと証言。その仕組みは、朝鮮総督府総務局に依頼、総督府は各道へ、各道は郡へ、郡は面(村)に依頼、勿論面長は朝鮮人である。集まったのは8000人だったと。