国定公園清津峡
29日(水)快晴が戻る。散歩の後は庭仕事をやった。この冬は日本にいることになったから、冬支度がいろいろある。家内の体調を気遣って、KLのリムさんやCHのオンさんなど日本語教室の生徒さんが心のこもったお見舞いのメールをくれる。みなさん中国系だ。彼らの親切さには心をうたれる。
日報のコラム「日報抄」子は道徳について取り上げ、中教審は「道徳を教科にし、教科書検定や成績評価も導入するよう答申した。『誠実』『正義』『愛国心』などを明示して授業すると言うが、人の心はさまざまだ『正解』を求めることができるのか」と疑問を呈した。やはり、まとも人間は同じ疑問を持つものだ。
このことについてである。道徳教育を教科にするということは、テストもやるのだろうか、評定はつけるのだろうかと、疑問が次々と湧いてくる。櫻井よしこも委員である中教審のことだから、当然そこまで考えていよう。愛国心を5段階や文章でどう評定するのか。最低評価を受けた子は駄目な日本人にされるのか。
自然が作りなす渓谷美
戦前の修身がモデルとして考えられていることは疑いないから、戦前は評価をどうしたのかを調べる必要がある。現在80歳の先輩に電話して聞いてみたが「記憶にない」と。ネットで調べたら龍谷大の天野正輝氏の「明治期における徳育重視策の下での評価の特徴」という論文を見つけた。
その前に、「修身」という言葉の起源をWikipediaで見てみよう。中国の四書五経の中の大学の中にある言葉らしい。道徳というのは英語の翻訳語のようだ。道徳の乱れを嘆く時代風潮は昔も今も変わらず、1715(吉宗の頃)親子関係を嘆く「世間子息気質」が出版されている。
前に書いたように、江戸時代、幕府は各藩の藩校にさえ干渉した気配はないし、まして藩が寺子屋や私塾に指示したり、制限を加えることもなかった。櫻井よしこ等が日本の伝統とか理想としているのは全て明治政府の施策であり、教育も天皇制下の教育のことだ。
トンネル内から
戦前の「修身」の必要性が説かれるのは、1890年の「教育勅語」に基づくが、その芽は明治維新以降の洋風化に反発する儒学派が画策して生まれた79年の「教学聖旨」だった。その中身は「君臣父子の大義」であり、「専ら仁義忠孝を明らかにする」ことだった。
この動きに対しては、西洋化を推進した伊藤博文でさえ反対していたほどで、必ずしも明治政府の一致した考えではなかった。首位教科となった修身科の授業は82年から全国的に実施された。進級や卒業の試験科目に修身科が加わったのは83年からだという。
文部省の指示は「他の教科と同じく試験し且平時の行状点を合算して及第を定べし」というものだが、当然のことながら、地方から問い合わせが相次ぐことになる。特定の国家観や価値観を押し付けようとする動きには抵抗があってしかるべきだ。今後に注目すべきである。
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