町内のあいさつ運動
30日(木)快晴。3時過ぎ、I中時代の教え子で、私の授業が懐かしいと電話をくれた32歳になるY君と夜飲むことになった。こういうことがあるから、ブログは午前中に仕上げなければならない。担任だったS先生も誘って3人で飲むことに。間に合うかな。
この子たちのI中も私が赴任した2,3年間は荒れた。荒れた学校で、道徳の授業など、成り立つはずがない。授業なら何とかなった。どんな教科書をつくる気か知らないが、戦前の修身科のように「国家に対する忠誠心や国民的統一意識」を説いても、今の子は受け入れまい。
修身科の歴史を調べていると、安倍晋三や櫻井よしこ等がなぜあのように道徳教育の教科化に熱心なのか分かる気がする。私が中学生の頃導入された「道徳」は教師側の反発でほとんど行われなかった。私の担任は決まってソフトボールをさせてくれ、それだけが思い出。
首をすくめたサギ
文科省や自民党はそんな実情をみても諦めるどころか、ますます道徳教育の強制を強めた。その証拠に私が海外日本人学校に応募した70年代後半(4回)、文科省での面接で決まって聞かれることは「先週の道徳の授業は何をやったか答えよ」と「君が代をどう思うか」だった。
私は開き直って「荒れた子どもたちに徳目を説いて授業が成立すると思いますか」「クラスをどう立て直すか、いじめをどう解決するか」を「クラスで討論させたり、個人面談を繰り返しています。道徳の時間をそれに充てるのは間違っていますか」面接官は黙った。
日本の明治期の教育や修身論に大きな影響を及ぼした人物に初代文相・森有礼がいる。彼は福沢諭吉らとともに明六社を結成したほどの開明派とみられていたが、その人物論たるや「欧米列強に比肩しうる国家の富強を実現すべく、我が帝国に必要なる臣民の育成」が必要だと。
始まった新潟市長選
つまり、頭がいいだけではダメで、「国家の施策に積極的に献身し、国家によって『能力ある人物」と認められた者のみが「人物」といった程度の人物論だった。具体的には人物評価に「人物査定証書」を授与するというもので、彼の死後3年足らずで廃止された。
査定法は廃止されても、90年の教育勅語発布以後「忠良なる臣民」育成のための徳育・訓練重視策が変更されたわけではなく、修身教育はむしろ一層強化、拡大していくことになる。戦後の動きもこれと重なる。99年の国旗国歌法、02年7億円かけた心のノート配布。
学校教育の中での学校行事の在り方も楽しい遠足や写生会等よりも入学式や卒業式などを修身強化のために従属させるという歩みも戦前と重なる。子どもの入学や卒業を祝うことよりも君が代を歌わせ、式の厳粛さ演出する方に力点が完全に移ってしまった。それが今の学校現場である。
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