晩秋の風物
17 日(月)曇り時々雨。沖縄県知事選に加えて那覇市長選での勝利が何よりうれしい。久々に快哉を叫んだ。翁長氏も市長の城間氏も元々は保守の人で、翁長氏などは自民党県連の幹事長まで勤めた人物。そんな人物を共産党をはじめ、無党派層が知事に押し上げた。
自民党という政党は選挙で不利になると決まって反共攻撃をやる。「翁長氏は共産党中心の革新候補だ」(菅官房長官)と。新潟市長選でも共産党が支持するだけで引く人がいる。戦後70年もたっても、その古臭い反共攻撃が一定の効果を表すとこに民度の低さがある。
家内は知事選勝利の速報を聞いて「沖縄の人は賢いわね」という。全くだ。沖縄の本土復帰運動に際して多くの人は本土並み返還を主張したが、私は本土の沖縄化を主張した時期がある。特に教育の分野で本土並みの中央集権化が進んでいくのは見るに堪えなかった。
小澤邸の外観
今回の選挙は明らかに普天間基地の辺野古移設に反対する意思表示で、保守も革新もない。安倍は明日にも衆院を解散するという。まとめて信任を得ようとするたくらみを許さず、脱原発か推進か、消費税再引き上げに反対か賛成か、安保法制や特定機密に反対か賛成か、争点を明確にして沖縄に続きたいものだ。
チャンギー刑務所で戦犯刑死した木村久夫氏の遺書について、お二人の方からコメントを戴いて嬉しい。不特定多数の人々とブログを通じて意見の交換を行うことこそ、アメリカで発祥したらしいブログの本来の在り方だとサンフランシスコ在住の教え子が教えてくれた。私が生徒に投げかけたかったのは国民の責任についてである。
私自身も長い間、戦争責任は天皇や政府軍部、財閥にあって、私の父や母に責任なんてあるはずがない、父母は犠牲者だと考えてきた。しかし、70年代に初めて木村久夫氏の遺書に出会ってからは「それを許してきた日本国民の責任」について深く考えるようになった。
小澤邸の庭
私は77年、R中で満蒙開拓義勇軍授業をやり、特に先生の責任について議論させた。その際、当然木村さんの遺書も資料として提示した。討論の柱に1・木村さんは戦争責任が誰にあると言っているか、君はそれに対しどう思うか。2・先生及び国民の責任について。
M(女子)は「やっぱり先生の紹介ということだったから親たちも信じて行かせたのだろう。だから先生という職業はとても重要なものだ。だから、生徒に勧める限り、先生はちゃんと調べておく責任があると思う」と書いた。しかし、木村さんの言う国民の責任について。
「木村さんは言っていた。『戦争の責任は国民全体にあるのだ』と。なるほど行動についてはそうかもしれない。しかしその基になる考えを吹き込んだのは政府ではないか」と受け入れない子がほとんどだった。それは現在の国民も同じだろう。そこが課題だと私は思う。
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