近くの公園の紅
22日(金)晴。久しぶりに角田山一人登山。3連休とあって家族ずれも。元気に挨拶を返してくれるのはやはり子どもだ。職業柄、つい子どもには声をかけたくなる。「こんにちは」に返事を返さない大人が3分の一はいる。日本人は心を許すまで相手を受け入れない。これも国民性だろうか。
ゴミ問題も書きだすと奥が深い。ドイツでは91年に「放送廃棄物回避法」が制定され、メーカーや流通販売業者に対して、包装廃棄物の回収と再利用が義務付けられた。そのため包装廃棄物を回収するデユアルシステム社(DSD社)が民間業者として設立された。
このDSD社が各家庭を隔週ごとに一軒一軒まわり、前述の放送廃棄物が入ったコンテナを無料回収する。各メーカーや流通・販売業者はDSD社と契約し、年間の包装材の量と内容量によって使用料を支払う仕組みである。ゴミを資源として再利用する政策は86年から導入された。
公園内のバラ
更に徹底したリサイクルを求めるドイツ社会は94年10月に画期的な「循環経済・廃棄物法」を成立させ、2年後の96年10月より施行。この法律では、ゴミを廃棄物として処理するのではなく、法制度によって強制的に再生利用することを義務付けているのだ。
すなわち循環経済・廃棄物法は生活様式だけでなく、大量廃棄物を生み出している大量消費社会を抑制し、生産、使用、処理を一体とするゴミを出さない循環型産業社会を求めるということ。あらゆる使用済み製品の回収再利用を企業に求め、実施に移していった。
ここまでのドイツの実態は妙高市在住の環境ジャーナリスト・関口博之氏の著書からの引用だが、日本の政治が企業と癒着している現状ではこれが実現しないのだ。ゴミだけではない、国民の安全・安心に繋がる法案は全て業界の反対で先進国に遅れをとったのだ。
公園内の「まあだだよ」の像
この結果、ドイツのゴミは減り続けているという。十分納得がいく。DSD社の経営は当初は赤字だったが、94年から好転し始め、97年には利益を計上したという。DSD社のリサイクル哲学は「リサイクルしにくいものには高い費用負担」を課すという当然の理屈である。
例えば、リサイクルしやすいガラス(瓶)、紙、鉄は低く、リサイクルしにくいプラスチックやアルミ缶(は特に製造過程で大量の電気を消費するため、嫌われた)などは高い委託料金が設定される。その効果は企業論理に従ってリサイクルしにくい製品は市場から締め出されるわけだ。瓶やプラスチック容器の再利用が進む。
日本でも97年にドイツ同様の法ができたにもかかわらず、メーカーや流通・販売業者が負担する金額はごく一部で、日本の容器包装リサイクル法は税金投入型のゴミ処理になっている。つまり、大量消費(無駄遣い)を求める企業要請を最優先しているからである。従ってゴミの全体量は一向に減らない。
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