リムさん家族との思い出
23日(火)これも忘年会で出た話だが、沖縄の選挙結果は辺野古移転を主張する自民党を全選挙区からオール沖縄で放逐した点でも画期的だが、それ以上に、今後の日本の政治を考える上でも重大な岐路だと思われるのに、大手マスコミが報じないのはなぜか。
選挙の評価については日報も同じだが、それでも大手紙に比べれば沖縄問題に対する報道は積極的だ。今日で4回目を迎える「平和はどこに」-にいがた戦後70年―の連載は沖縄が中心だ。東京の小学校教諭が年一回沖縄で特別講座を開いているとの記事もその一つ。
ドイツの政治教育を論じた近藤孝弘氏は「非ナチ化という国家的課題が政治教育の重要性を自明としてきた」という。日本にも「非軍国主義・非皇民化教育」の課題はあったはずで、GHQは朝鮮戦争までは「教育の民主化」に取り組み、数々の改革も行われた。
リムさん家族との思い出
日本では新中国の誕生や朝鮮戦争を機に、教育の反動化の時期を迎えるのに対して、ドイツは「ナチズムと『アメリカ帝国主義』を告発する68年世代」がドイツの政治教育に転機をもたらしたと、近藤氏は言う。前号で紹介したヴェルテンベルク州の3原則はこの68年世代の運動の結果だという。
ドイツで政治的中立と言えば、日本のように教師の政治活動や発言を禁じたり、生徒の政治的関心の芽を摘み取ることではない。「教師は自らと対立する考え方についても紹介することが求められるが、その上で自分の見解を表明することは認められる」(近藤論文)
さらに「むしろ学校教育においては、第一項の圧倒の禁止に抵触しない範囲で教師が自らの考えを率直に表明することが、生徒一人ひとりにそれぞれの政治的ポジションを獲得することを促すうえで有益と考えられている」これこそが政治的中立の意味ではないか。
リムさん家族との思い出
今回の選挙後、NHKが低投票率に絡んで世界各国の投票率を紹介する中で、オーストラリアやシンガポールでは投票に行かない人に罰金を課す制度があることや、投票に合わせて学校で模擬投票をやらせている北欧諸国の例も紹介された。それすら許さない日本が異常なのだ。
IEAの国際比較調査では日本の学習意欲は世界の中で最下位グループに属し、学校では「試験のためにしかたなくやる」という風潮が圧倒的である。現場にいた教師としては実感としてよく理解できる。何のために学ぶのか、社会に何を期待するかを学ぶ仕組みになっていない。
中学校で政治教育の直接の教科は3年生の「公民」(私たちの世代は政治経済社会)だが、この教科が骨抜きにされている。憲法学習が後回しにされたことでもわかるが、何より教師たちが委縮し、社会問題をえぐる本来の学習になっていない。まさに愚民化教育だ。この項はこれで一応終わりとする。