我が家の前の道路
24日(火)以前も書いたが、私は戦前や戦後の歩みを考えるとき、歴史問題はもちろん、ゴミなどの環境問題、教育問題にしてもドイツと比較することが最も公平で妥当だと考えている。実際、日本は明治以来、憲法等の法律や政治制度からビールの製法やサッカーまでドイツから学んだ。
月曜日連載の「こんにち話」に22日登場した在駐日大使・ハンス氏の話は示唆に富んでいる。自分がベトナムや中国などの勤務を通して学んだのは、「対立する両者が相手側の目で紛争を見られるようになって初めて、紛争解決が可能になる」日中韓の関係も同じだと。
「尖閣諸島問題で日本に軍事的解決の意思がないのは明白だし、中国も戦争しようとはしていません。解決の唯一の方法は対話と交渉です」「欧州の感覚としては、日韓が歩み寄れないのは理解に苦しみます。歴史問題はありますが、分かり合えると信じています」と。
こんな道を歩く
歩み寄りを阻んでいるのは、安倍政権の硬直した「固有の領土論」や「この道しかない」式の相手の立場を尊重しようとしない態度があることは明白である。原発に固執し、再生可能エネルギーを推進すべきだという声にも真剣に耳を傾けようとはしない点も同様だ。
今朝の新聞でも再稼働をした立地自治体に交付金を増額する案を検討していると。沖縄同様、金の力で圧力をかけようとする最も卑劣な方法をとろうとしている。そうした姿勢を転換させるのは、やはり住民運動と選挙の力しかないことを再びドイツに学んでみる。
ドイツのレーナが我が家に来たとき、「日本ではドイツが将来の原発ゼロを決断したことについて、メルケルの決断だけが大きくクローズアップされていますが、地方で原発ゼロを主張する緑の党が議席を伸ばしていたし、最終的には国論にもなりそうだったからです。メルケルは世論を恐れたのです」
土手は歩けず
地方の動きの一つにチェルノブイリ事故後、ドイツ南西部フランス国境に近いシェーナウ(人口2500人、教育問題に登場したバーデン・ヴェルテンブルク州)という小さな町の人々が始めた、原発に頼らず、自分たちの電力を賄うための電力会社設立の運動がある。
その詳しい経緯は「シェーナウの想い」という自主上映映画に描かれている。原発に反対するだけではなく、こうした運動を通して「原発はいらない」という意思表示をしていく運動こそ学ぶべきではと思わされた。このシェーナウ電力会社(EWS)が発行した本がある。
「原発をやめる100の理由」である。原本をそのまま訳したものではなく、日本版製作委員会が「日本では・・」の部分を書き加え、対比しながら理解できるように編集されている。このEWSはドイツ全土で13万戸の顧客を抱えるまでに成長しているというから凄い。この本からいくつかを紹介してみたい。
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