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NO2946 過去と向き合わない日本(5)

KLに向かうエアアジア

KLに向かうエアアジア 5日(月)晴気温5度、今朝は6000歩ほど歩く。2日から始まった新聞連載「にいがた戦後70年・県北に咲いた自由」は戦後岩船郡関谷村(現関川村)に創設された「関谷学園」を巡って奮闘する教師たちの話である。財政的支援者は豪農渡辺家の当主・万寿太郎氏。

 

その万寿太郎は「狭い国土、やせた土地で復興した北欧デンマークに学びたい」と熱く語っていたと。園長だった佐藤仙一郎や当時の教師や生徒たちの証言が続いている。佐藤は文部省や県にかけ合って全国から異色の教師を集めたという。多様な人材という意味だ。

 

佐藤にとって「多士済々の個性こそ民主主義だったのかもしれない」と記者は書いているが、その通りである。戦前の師範学校の教授であった佐藤にとって戦後の180度の転換は「簡単ではなかったはずだ」と次男が語っている。しかし、佐藤は愛国主義と決別した。

 

エアアジア機内

エアアジア機内 「みなが一様に国を向く危うさとの決別。多様な個性を育むべく、学園は斬新な授業を実践」園長佐藤は建学の精神として「民主主義教育によって『文化郷土』を建設する」を掲げた。当時の教師臼井イエ「学園は一人ひとりを尊重して個性を育てる教育があった」

 

私が取り上げたいのは、まさにこのことである。戦後私が受けた教育は実に生き生きしたものだったと思う。学校へ行くのが楽しかった。経済的な理由によって学校に来られない同級生はいたが、学校が嫌で学校に来なかった同級生は記憶にない。いじめはあった。

 

思うに、当時の先生方が職場の中で自由に振る舞い、教材作りも自由にやれたからだと思う。社会科の時間はいつも先生が作ったガリ版釣りの資料だったし、図書館での調べ学習、野外学習、弁当を持っての写生会、同じく遠足など楽しい行事がたくさんあった。

 

エアアジアのCAたち

エアアジアのCAたち 昨日始まった大河ドラマ「花燃ゆ」は幕末の松下村塾が舞台である。全国の藩校、私塾や寺子屋から日本を背負った有為な人材が輩出したのも、間違いなく教える側の教師は勿論、教わる側の生徒にも自由があったからだ。抑圧者への反発と勇気があったからである。

 

過去に向き合うとは、歴史問題だけではない。戦前の軍国主義教育、皇民化教育の誤りに学ぶ必要があるのだ。関谷学園の歩みはまさにそれであり、全国の学校で実践されたことである。しかるに、安倍政権が学ぼうとしているのは教師の自由や自主性を奪うものだ。

 

戦時中の教師の中でも『必ず生きて帰ってこい』と教えた教師はいた。非科学的なことは教えないことで抵抗を示した教師もいたのだ。今安倍政権に抵抗をやめれば、再びあの暗い時代を招来するのは目に見えている。一人一人が大きな声を上げ続けることである。

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