思い出のスリランカ
11日(日)小雪。ブログは元々論争の場として始まったとも言われているので、批判コメントは大歓迎なのだが、先日コメントをくれた「共産党大嫌い」のように、判で押したような自由主義史観を展開されても論争にはならない。事実関係だけは正す必要がある。
共産党員だったいわさきちひろの絵をさして、共産党員らしからぬ絵と評する人がいるそうだ。プロレタリア美術家からの「甘ったるい、リアルな子どもが捉えられていない」という批判もあったという。私にはそうした批評が共産党のイメージを暗くしたと思う。
これらの批評にちひろ自身は「どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢を持った美しい子どもに見えてしまうんですもの・・」と語っていたという。今数年前に安曇野のちひろ美術館で買い求めた「ちひろの昭和」で絵を見ながら、これを書いている。
思い出のスリランカ
絵の良さを深く理解できない私でさえ、絵をじっと見ていると、子どもたちの会話や息遣いが聞こえてくるようであり、何よりもちひろの子どもをみつめる、心の温かさ、愛おしさが伝わってくる。「共産党大嫌い」さんにはこの絵でさえ受け入れないのだろうか。
18年生まれで、敗戦の年26歳になっていたちひろはむさぼるように読んだ本の中で、特に引きつけられたのは宮沢賢治で「世界がぜんたいに幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」というヒューマニズムに心を打たれたという。共産党の演説会にも顔を出すようになっていた。
そして「戦争が終わって、初めてなぜ戦争が起きたのかということが学べました。そして、その戦争に反対して牢に入れられた人たちのいたことを知りました。殺された人のいることも知りました。大きい感動を受けました。そして、その方々の人間に対する深い愛と真理を求める心が命を懸けてまでこの戦争に反対させたのだと思いました」と語った。
思い出のスリランカ
宮沢賢治のように、信州で教師となり土と生きようと考えたこともあったらしいが、「子どもを描きたい」という志を捨てきれなかったのだという。ちひろは単に絵を描いて生活をたてようとしていたのではない。社会と関わり、戦争で死んでいく子どもたちにも心を寄せ続けた。
ベトナム戦争反対の声も上げ、戦争中の72年「戦火の中の子どもたち」を描き始めたのもそのためである。「今描かなければ、ベトナムの子どもたちがみんないなくなってしまう・・」と。私がハノイに長期滞在した08年、「いわさきちひろ展」が開催されていた。ベトナムの人達にもちひろは広く知られていた。
今も続いているようで、昨年も一ヶ月間、ハノイで開催されたようだ。残念ながら、この絵本がちひろの最後の絵本となった。ベトナム戦争の終結も見届けないで、74年55歳の生涯を閉じた。生前、描いた絵は1万点。絵本は50冊にも上るという。我が家には毎年ちひろカレンダーが下がり、心が癒されている。
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