スリランカの思い出 17日(土)時々青空。今日は阪神淡路大震災から20年。本当に月日の経つのが速い。さまざまな思い出や経験が語られているが、一番大切なことはなんだろうと考える。東日本大震災と併せ考えるとき、日本に住む限り地震は避けがたい。しかし、原発は避けることができる。
二つの震災に学べば、避けがたい地震津波、豪雨などの災害から学び、対策を講じたり、選択をすることは出来るのだ。阪神淡路大震災は悲惨だったが、故郷に戻るか戻らないかの選択は出来た。福島の人々、特に原発事故で追われた人々は選択さえ許されない。
国民にとっての最大の災害は戦争だが、これも選択は可能だ。しかし、安倍政権は戦争への道を選択しようとしている。今朝の日報で立教大の西田修氏は「『この道』展望なき政権」と題し、戦後70年平和を守ってきたこの国を危険な道に導く安倍政権を俯瞰している。
スリランカの思い出
西田氏は「経済成長をうたう安倍晋三政権の政策は、大企業を支援し株高で富裕層を潤わせるが、企業優遇は雇用や労働の条件を劣化させ、多くの人を恒常的な貧困へと追い落とす。そのしわ寄せは若者や女性に集まり、それが子どもの貧困に拍車をかける」と喝破している。
「この路線はつまるところ社会全体に不公正や不寛容をまき散らし、人々を分断して生きにくくさせる」とも。この政権が寛容なのは、ヘイトスピーチなど右翼の活動やブラック企業の労働強制、残業代不払いなど、本来厳格であるべき脱法行為に対する取締り等。
安倍首相は今イスラム諸国を巡っているが、やることは分かっている。アメリカの意向に沿って援助を餌に将来の安保理入りを工作するに違いない。日本は仏教国という寛容さで欧米諸国に比べて中東で手を汚さずにやってきた。それは賢明な選択だったと思う。
シンハラ族と踊る家内 イスラム圏とキリスト教圏の対立はイスラエルとアラブ諸国の対立に遡るわけだが、そこにイスラム圏内の諸宗派の対立が加わって一層事態を混迷化させた。元はと言えば、第一次大戦時の欧米諸国のこの地域への身勝手な介入にあるが、我々の常識ではもはや理解し難い。
こういう状況だからこそ、日本は双方に距離をおき、橋渡しの役割を果たすべきなのに、集団的自衛権を容認してこの地域に軍隊を送るようになれば、この地域で活動している多くの日本人のNGO活動にも危険が及ぶことになりかねない。このことについては多くの証言がある。
私はイスラム教徒の友人知人は多くはないが、招かれたり、話をする機会は結構あった。特にシンガポールやマレーシアにおけるモスリムは穏健で、お互い文句を言いながらも中国系やインド系と平和共存関係にある。それは可能だし、それしかないと思うのである。
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