スリランカの思い出 18日(日)曇。2回で終わるかと思った宗教問題も書きたいことがたくさんあってなかなか終わらない。欧州の状況はますます混迷を深め危険な様相を呈してきた。安倍首相は過激行動を止めるとか中庸を説いているが、国内で不寛容な男が何を言うかという感じ。
今朝のサンデーモーニングでも中心的な話題になっていたが、どんな風刺も許されるのかという話。自分の自由を貫き通せば他人の自由を侵害することはあり得るわけだから、やはり、フランス人権宣言にうたわれたように「他人の自由を侵害しない限りの自由」
あるいはヴォルテールのいう「私は君の意見に反対だ。だが、貴方がそれを主張する権利は命を懸けて守る」そういう自由であるべきだと思う。番組の中で佐高信氏は「強者に対する風刺と弱者に対するそれは区別されるべきだ」という意見には参加者全員が頷いた。
路上でシャワー
毎日新聞政治部長・石井氏は「毎日新聞は議論の末、その視点から問題の風刺画を掲載しないことにした」と。良識だ。他の新聞社はどうなのだろう。日本におけるイスラム教徒は最大で5万人と言われるが、信者にはきつすぎる。安倍政権に対する風刺や批判は弱すぎる。
欧州に移民として渡るイスラム教徒は増え続けている。フランスやドイツには約400万人、カソリックの強いイタリアでさえ150万人のイスラム教徒がいると。私もベルリンのトルコ人街に案内してもらったことがあるが、危険など感ずることもなく普通の生活があり、共存していた。
マレーシアキャメロンハイランドにおけるイスラム、ヒンズー、仏教徒の関係をみていても、レストランには「豚肉を扱っていません」の看板やメニューがあったり、会話は共通語の英語であったり、病院の待合室で子どもがオモチャの取り合いをしても、親同士で話し合い譲り合っていた姿も目撃した。
路上市 宗教や民族の対立であるように見えても、実は経済格差や不公平感が根底にあるように思える。いかなる理由があろうと、ボコハラムやイスラム国のような暴力は認められない。最も重要なのは各国の指導者が対立を煽るようなことをしないことだ。安倍政権もである。
イスラム諸国の共通した問題は政教一致ではないか。イランにしても選挙で選ばれた大統領の上に最高指導者などという怪しげな存在がある。近代的な民主主義の諸原則に照らして私たちには理解不能だ。日本の政治にも創価学会など宗教問題は影を落としている。
建前上は創価学会と公明党に分かれているが、誰が見ても表裏一体ではないか。最後まで権力に抵抗して獄中にあった新潟県柏崎出身の創価学会初代会長。牧口常三郎は今の姿を是認するだろうか。宗教家は政治にタッチすべきではない。日本の新興宗教はすべからく、体制支持派であるのも変ではないか。
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