マドリードの街
10(日)小雪が舞う。日本の櫻井よしこ氏らに代表される自由主義史観(靖国史観)論者たちは、私とは全く逆の立場でドイツと日本の戦争犯罪は違うかの如き主張を展開しているが、他国への侵略と国民への人権侵害という点では何ら違うところはない。ファシズムたる所以だ。
彼らは事実そのものを認めず、それを否定することが国の誇りを取り戻すことにつながると主張している。ドイツはナチスが過去に犯した誤りだけではなく、68年以来、それを見逃した国民の責任とも向き合っている。とりわけ加害責任と向き合うのがコンセンサスになっている。
加害責任を考える施設は前号で紹介したホロコースト記念館だけではない。「テロのトポグラフィー」は戦争と恐怖政治(テロ)を進めたナチス幹部の責任を追及する博物館。親衛隊、ゲシュタポ(ドイツの特高)本部の跡地に新設された。日本の特高警察本部の跡地はどうなってる?
マドリードの街 抵抗運動記念館は、44年7月20日の軍高官らによるヒトラー暗殺・政変を目指した「ワルキューレ作戦」などの記録を展示。関係者が射殺された軍事務所跡にあるという。その他、ユダヤ人移送・虐殺計画を決めた場所を記念館にした場所もあり、ヒトラーの肉声も展示してあるという。
戦後のドイツは徹底した「非ナチ化」を進め、ナチス礼賛は刑法第130条違反、ナチス式の敬礼(日本の中学校の運動会でしばしば見受ける)の禁止、カギ十字を掲げることも禁止、一番大きいのはナチスの犯罪は時効を廃止したこと。日本では戦前を讃える安倍政権が誕生する始末。
日本はどうだったかといえば、このブログで何回も書いてきたが、少なくとも朝鮮戦争の50年までは平和国家であろうとしてきた。新中国の誕生や朝鮮戦争によってアメリカの占領政策が180度転換したことによって、戦前の勢力が完全に復権して、変わっていく。
マドリードの街 連合軍による裁判・東京裁判によってA級戦犯とされた安倍の祖父岸信介をはじめ、ほとんどの戦犯が釈放されたばかりか、岸は総理大臣にまでなり、警察、自衛隊、教育界でも多くの人々が現場に復帰した。ドイツではありえないことだ。
マスコミ分野でも戦犯だった読売の正力松太郎をはじめ、ほとんどのメデイア分野で戦争を煽った経営者や記者が現場復帰を果たし、あの戦争への総括や反省のないまま、民主主義を標榜して恥じることはなかった。問題はそういう体制を選挙を通して国民が支持したことである。
国民は国民で被害者意識しか持ちえず、ドイツのように自らの手で戦争責任者を裁く動きも広がらなかった。そればかりか、戦後の自民党政権による民主教育に対する攻撃が強まる一方で、若い層も含めあの戦争への反省の機会を失うことになってしまった。