13日(金)強風。寒くて買い物以外は外出する気にならない。今日はテニスもコートが取れず。終日家にこもってネット上のニュースを点検したり、夕食の下ごしらえをしたりして過ごす。日本のマスコミが常用している「イスラム国」は海外では使われないという。
言われてみれば、国家の体をなしていないのだから「イスラム国」とするのもおかしな話だ。ISISの最初のIslamic of StateのStateを国と訳したのか。イラクとシリアのイスラム過激組織がその実態といわれるから、今後は私はISISと表記することにする。
私のブログに「ひこぜん」なる人物がコメントを寄せ、天皇の軍隊が虐殺や略奪、強姦などやるはずがないという、自由主義史観論者たちの主張を展開している。無視しようかと思ったのだが、これを読んでくれる若い読者を意識して少しだけ反論を書いてみた。
マドリード市内 彼らの主張がこれだけ日本中に蔓延し、安倍政権をも生み出したのだから、やはりきちんと反論しておく必要を感じる。私の意欲が掻き立てられたので、しばらくあの戦争を再度振り返りたくなった。ひこぜん氏は日本軍による731部隊による人体実験、毒ガス兵器の遺棄も認めないのだろうから。
彼らの論法は例えばこうだ。94年当時の村山首相と土井たか子衆院議長は東南アジアに謝罪旅行をした際、シンガポールの血債の塔(マーライオンの近くに建つ68メートルの日本軍による虐殺犠牲者を祭る記念碑兼墓)を訪れ、献花したことを次のように批判する。
渡部昇一(新しい歴史教科書をつくる会)らのメルマガや著書などからの引用だが、「日本軍が殺害したのは華僑ゲリラである。村山首相らはこの事実を知っていただろうか、多分知らないだろう」まるでゲリラは殺されて当然と言わんばかりで、献花は誤りだと。
マドリード市内 「華僑ゲリラと戦って死んでいった日本軍兵士への侮辱だ」とまでいう。いつものことだが、重大な事実誤認がある。マレー半島に侵略し、虐殺事件を起こしたのは日本の軍隊で、それに武器をもって戦ったのは英軍(豪や印などの植民地軍が中核だったが)と現地の中国人で結成した「華僑義勇軍」である。
もちろん、マレー半島各地から駆けつけた華僑(中国人)である。山下奏文率いる第25軍はおよそ1000㌔のマレー半島を自転車で南下し、マラッカ等各地で略奪や虐殺を繰り返しながら2月11日シンガポール占領を目指して南下。華僑義勇軍の激しい抵抗で11日陥落せず、15日になった。
予定通り陥落させられなかったことについての華僑への憎しみは強く、華僑組織への5万ドルの献金強要、2月21日~23日の三日間で18歳~50歳までの男子を炎天下の広場に徴収し、大検証を実施し、5万人(シ側の主張)が虐殺されたのだ。日本が事実を認めて日本側のお金で血債の塔は建てられた。
マドリード市内