マドリード市内
15日(日)歴代の自民党政権はあの戦争を「侵略戦争であったかどうかは歴史家の議論に任せる」と逃げてきたが、そんなことは第二次大戦中の各国の犠牲者の数を見ただけでもわかるではないか。中国本土内での犠牲者数は1000万~2000万人となっている。
中国はどこにも戦争を仕掛けてはいない。しかも7割以上は民間人の犠牲者である。中国にいた外国軍のほとんどは日本軍である。これだけで、中国の犠牲者は日本軍との戦いによる戦死者かそれに巻き込まれて犠牲になった人々という事実関係に争いがあるか。
簡単に歴史のおさらいをしておこう。中国は1840年のアヘン戦争以来欧州諸国(英仏露独等)によって蜂の巣をつついた状態にされ、租借地や鉄道、鉱山などの権益を奪われていた。日本は日清、日露の戦争を経てその仲間入りを目論んだ。そして1915年の対華21条の要求を突きつけて、飲ませた。
マドリード市内 そういう意味では櫻井らの言うように、日本だけが侵略国家であったわけではない。日本は欧露に割り込み、中国での権益の再配分を要求した侵略国家だったということだ。特に満州を独占するために中露と対峙し、中国を挑発し、28年、張作霖爆殺事件を起こした。
挑発に乗らなかった中国を無理やり戦争に引きずり込んだのが31年9月18日の柳条湖事件だった。この日の夜10時過ぎ、満州南部の中心都市奉天(現・瀋陽)東北方の柳条湖付近の満鉄が何者かによって爆破された。これを日本軍は中国側の仕業と決めつけた。
翌19日午前1時20分、旅順にあった関東軍司令部は全部隊に対し、奉天への総攻撃を命じた。午前6時30分には中国側が死者320人を出して奉天を占領。午後には満鉄の終着駅長春も270人の死者を出して占領した。関東軍も67人の死者を出したが、主要都市を4日間ほどで占領した。
肉屋さんの軒先 さて、だれが鉄道爆破の爆薬を仕掛けたのか。この事件が当時から関東軍の仕業であるとの情報があった。若槻内閣の外相・幣原喜重郎は19日の閣議でその情報を読み上げたほどだ。とりわけ、天皇の命令なしに朝鮮軍が国境を越えた行動も昭和天皇の耳にも達した。
この事件の真相は実行犯であった当時参謀の花谷正が戦後、56年に自白ともいうべき手記を発表。それによれば、陸軍大佐板垣征四郎、陸軍大佐石原莞爾との3人による計画的発行だったと。もちろん彼ら3人だけの計画ではなく、参謀本部の橋本欣五郎らも関わっていた。
若槻内閣は「不拡大」を宣言しながら、打つ手なく、関東軍は占領地を広げ、これから15年間に及ぶ宣戦布告なき泥沼の戦争が続くのである。そして、32年3月1日偽「満州国」が誕生する。こうした事実関係を否定し、日本の誇りを叫ぶ人たちの歴史認識を疑う。