2015、3、1(日)曇り時々雨。今日3月1日は韓国では三一節という国民の祝日である。毎年この日に韓国大統領は日本に向けた激しい演説をやる。今日も朴大統領は従軍慰安婦の解決を求めた。歴代の大統領は日本が建てた朝鮮総督府の建物の撤去を公約したものだ。
1910年、日本は韓国を併合し植民地にした。植民地支配の象徴が朝鮮総督府庁舎で、韓国の皇居・景福宮の正門・光化門を隠すように建てられた。日本でいえば皇居二重橋の前に建てるようなもので、韓国の人々にとっては屈辱。初の民選大統領金泳三により解体された。
三一節とは1919年3月1日、ソウルの中心部にあるパゴタ(タプコル)公園に群衆が集結、「独立宣言」を読み上げた後、デモ行進に移り、一部は暴動に発展した。日本の警察や軍隊により完全に鎮圧される5月まで全国に拡大。これに呼応して閉店、同盟休校、ストライキも。
バルセロナの街 デモの回数は1542回、デモ参加者は205万人(つくる会系の教科書が教えない歴史でも106万人)、死者7509(同553人)、逮捕者46303人(同不明)日本のマスコミは勿論「暴動」と伝えたが、吉野作造、宮崎滔天、石橋湛山、柳宗悦等政府を批判する人々もいたことが救いだ。
日本では教科書に「3・1独立運動、3・1万歳事件」とあるが、この運動には伏線があって、前年の2・8、東京神田で日本にいた韓国留学生を中心に集まり「独立宣言」を読み上げた。「われわれはここにわが朝鮮国が独立国であること、および、朝鮮人が自由の民であることを宣言する・・」
つくる会はこれをアメリカ宣教師の扇動によるもので、その責任は重いなどと非難している。運動への弾圧は凄惨を極めたが、もっとも有名な事件は水原郡の堤巌里の教会に村民30名余りを集め、ドアを閉めて一斉射撃、さらに放火し教会内及び構内での死者は26名に及ぶ。
バルセロナの街 その中には母親についてきた幼児二人も含まれる。朝鮮近代史の研究家・山辺健太郎によれば、独立運動で殺された朝鮮人は「おそらく10万人以上」と書いている。つくる会の本には一人の日本人巡査が殺されたことを挙げ「警察側も粗暴になるのはある程度やむを得なかったのでは」などと書いている。
この運動の中に朝鮮のジャンヌダルクと呼ばれた当時17歳の柳寛順がいる(西大門刑務所で獄死)。伊藤博文を射殺した安重根と共に韓国の切手の肖像になっている英雄だが、つくる会は「ほとんどの人は反省の意を表し、釈放されています」などと平然と書いている。
この事件を聞いた原敬首相は「表面上は軽微な問題として扱い、裏面においては厳しく、しかし、外国人から批判を招かないよう」などと動転している。その後、憲兵警察を普通警察に、朝鮮語の新聞を認め、教員の帯剣を廃止するなど、統制を緩めざるを得なかった。
私は3回ほどの韓国旅行で嫌な思い出をしたことは一度もないが、私の友人で、高校教師のIさんは、下見でパゴタ公園を訪れた際、白い朝鮮の民族衣装を着た老人につかまり、生徒を韓国に連れてくるときは、「日韓関係史をしっかり教えてきてください」と言われたという。その話が今も忘れられない。知らないのは日本人ばかり・・・。
バルセロナの路面電車