ポルトガルの思い出
10日(火)強風雪もちらつく。明日であの東日本大震災及び原発事故から丸4年を迎える。新聞テレビも思い出したかのように、連日特集を組んでいる。結構なことだが、東京新聞のように常時「福島便り」や「福島作業員日誌」など継続した報道姿勢がほしい。
心ある人々は常に東北に関わり、支援活動を続けている。私の教え子でシンガポールで歌手活動をやっているSachiyoさんは毎年東北に駆けつけ、ライブ活動をやっている。昨日も仙台で活動しているようだ。私にはFacebookで応援することしかできない。
4年経って、やはり、どんどん風化していくのは避けられない。4年後の実情を新聞で拾い、ここに書き留めておこう。警察庁の数字で先月2月10日現在被災3県で死者15823人、行方不明者2586人、今なお22万9千人が県内外で避難生活を送っているという。
ポルトガルの思い出
そのうち、福島原発事故の避難者は半数の12万人を占める。震災で全半壊した建物は約40万戸、仮設住宅に暮らす被災者は1月末現在3県で8万1730人。テレビでも時々映し出されるが、復旧が進んでいるのは道路、鉄道、土地のかさ上げ、港湾などインフラだけ。
人々の生活にかかわる復興の姿がさっぱり見えてこない。そればかりか、避難解除と言っても誰も喜ばない。それはそうだ、それを理由に賠償の打ち切り、仮設からの追い出し、あるいは期限設定、解除されても住宅の近辺しか除染はされておらず、裏の森は手つかず。
まるで東電に賠償責任を免れさせるために避難解除を進めているのではないかとさえ見えてしまう。小さな孫がいれば、年寄りは帰還できても、子や孫が帰れるわけがない。そうなれば、二重、三重の生活をせざるを得ない。自分の家が無傷であるのに帰還できない。
ポルトガルの思い出
原発の現状はもっと深刻だ。オリンピックで浮かれているが、今後施設の建設が始まれば、増々工事要員は安全で手当のいい方に向くのは目に見えているから、原発作業員はより危険な作業を安い賃金でやらされる恐れは十分だ。1号機は水素爆発で建屋が大破。
392体の燃料がメルトダウン。東電は当初燃料(燃料デブリ)取り出しを17年前半としていたが19年に延期。そもそも、取り出す技術も世界に例がないのに、工程表を示すこと自体が無理というものだ。2号機(615体)の建屋内の放射線量が極めて高く、作業員が入れない。
3号機(566体分)の燃料は今年度中に取り出すとされているが、とてもそんなことができる状況ではないだろう。4号機は停止中だったためにメルトダウンをまぬかれ、燃料の取り出しに成功したが、プールの水はそのまま管理するのだという。大丈夫なのか。
続きを読む