ポルトガルの思い出
24日(火)曇。今日は年金組合の支部例会で一品持ち寄りの会なので、私はコロッケを朝から仕込み、揚げたてを持参した。新入会員のご婦人はドングリ餅を持参し、生まれて初めて食した。赤大根の麹漬けも美味。昼間から酒を飲み、最後は安倍政権批判で盛況。
リー・クアン・ユー氏の話をもう少し。この人は戦後世界史の中でやはり語られるべきリーダーの一人だと思う。1959年、まだイギリスの植民地の自治州の一つだったシンガポールの自らが創設した人民行動党の党首として、初代首相に就任したのだった。
氏は一貫して、日本の占領後のイギリスの復帰を認めない立場で国民の支持を集めた。マラヤ連邦全体の首相を目指したが、当時のマラヤ連邦のラーマン首相のマレー人優遇政策をめぐって対立し、各民族の平等を唱えたリーは1965年の独立後もそれを貫いた。
ポルトガルの思い出
徹底した能率主義、効率性を重視し、一党独裁の批判を浴びながらも、汚職とは無縁で、一人あたりのGDPは独立直後500ドル台だったが、首相最後の90年には25倍、07年には日本を抜き、13年には100倍の5万5000ドル超に拡大した。文字通り先進国になった。
私がリー氏を評価する理由の一つに、インドネシアのスカルノなどが第二次大戦の日本侵略を一部評価する歴史認識に対し、それを徹底して批判し、70年後半に「日本に学べ」運動を展開した時でさえ、学ぶべきは日本の生産性や技術であって政治ではなかった。
00年の回顧録でも「私は日本から多くのことを学んできたが、一方で率直に批判する。とりわけ戦争中の行為への謝罪に明らかに消極的な姿勢を問題にする。過去を清算し、将来への新たな一歩を踏み出すべきだ」と書いている。2013年の著書では日本について。
ポルトガルの思い出
国の衰退が不可避になる人口減少・少子高齢化という根本的な問題に対し、最も常識的な対処であるはずの移民・外国人労働者の受け入れなどを本気で議論しないことに苦言を呈し、「あまりに閉鎖的な態度」であることに「今後については悲観的だ」と警告している。
安倍晋三らが自分たちの歴史認識に反発しているのは韓国、中国だけだと思っているとしたら、とんでもない誤りで、リークアンユーの見方が東南アジアの総意だと思わなければ、いつか足元を掬われることになろう。彼らは許しても決して忘れることはないのだ。
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