角田山の雪割草 2015年4月1日(水)雨。早4月である。時の経つ速さには驚くばかり。私の不安は孫たちの時代にこの平和が維持できているかどうかの点に尽きる。統一地方選も間もなく告示になる。地元紙の今朝のトップ記事は県議立候補者「柏崎再稼働賛否が拮抗」である。
これだけ見ても議員が民意を正確に反映しているとは到底思えない。沖縄県民でさえがそうであったように、戦後70年、本土から痛めに痛めつけられて、ようやく目が覚め、オール沖縄で「基地は戦争につながり、経済発展にはつながらない」と分かったのが現実。
庶民の願いが政治に反映しない。安倍政権の下、戦争への足音を感じる、アベノミクスはどうも我々の生活向上にはつながらない、原発は危険で電気が足りるなら自然エネルギーの方がいい。多くの人が日常会話ではそう話しながら、結局自民党に投票してしまう。
紫色のイチゲも珍しいと
つまり、自民党に投票するということは、安倍政権を支持し、強引な政策推進につながるのだということが理解されていない。地域の町内会、農協、商工会、医師会等々、様々な組織が利権と結びついており、自分の望まない方向に連れて行かれることとリンクするとは考えない。
民主主義だと思い込んでいる日本人の意識と行動は実はそれとは無縁でムラ社会の中の自衛本能に基づく保身行動でしかないのではないか。明治維新も戦後の民主主義も自ら闘いとったものでないところに根本的な弱さがある。じゃあ日本人はバカだったのか。
そんなことはない。例えば安倍が讃えてやまない伊藤博文等が関わった非民主的な明治憲法に対して、美智子皇后が讃えた農村の青年たちが書き上げた、今の憲法に近い、いやそれ以上の五日市憲法があったのに、伊藤らは一切無視して天皇中心の憲法を決めた。
山桜が一足早く
現在の憲法にしても安倍・櫻井らは、占領軍による押し付け論だけを強調するが、当時も憲法研究会案をはじめ民間の草案がいくつも出されていたにもかかわらず、政府にそれを参考にしようとする意志も能力もなく、占領軍の介入を招いたことこそ恥ずべきである。
戦後の選挙権、労働組合・運動、男女平等、教育のどれをとっても占領軍の庇護のもとで育成された側面を持ち、国民自らが戦前のあり方の責任を追及する中で生み出された民主主義体制ではなかった。従って上からの懐柔や弾圧に弱く、すぐ体制側に靡いてしまう。
現在の連合を見ればわかるように、ほとんどの組合は御用組合化しており、電力労連のように率先して会社の利益を代弁し、原発推進の旗振りをやる始末である。自民党による攻撃の標的にされた日教組でさえ、権力に取り入り、管理教育に手を貸すありさまだ。日本の現状は民主主義にほど遠いと思わざるを得ない。
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