スペインの思い出
6日(月)曇り。菅官房長官と沖縄の翁長知事の会談を観ていて、腹が立ってしようがなかった。元自民党県連幹事長までやった保守の人間にあそこまで言わせる安倍政権は堕落以外の何物でもない。それに対し、菅は「あの人は本当の保守ではない」と言ったとか。
櫻井よしこは最新の発言で安倍の祖父である岸信介を持ち上げ、訪米する安倍に向かって岸のような気概を持てとはっぱをかけている。歴史に対する謙虚さも真摯さも持たない彼らが今この国の運命を左右しようとしていることに戦慄さえ憶えざるを得ないのだ。
石井四郎以下731部隊の幹部たちは8月8日のソ連参戦後、他の関東軍より早く9日には撤退を開始するが、撤退における最優先事項は、人体実験の証拠を隠滅することだった。建物の爆破は勿論、丸太(マルタ)名づけられた実験用の捕虜と生体の処理であった。
スペインの思い出 その時点で本館の監獄に収容されていた40人前後のマルタの殺害である。その方法は青酸カリ、銃殺などの諸説があるが、毒ガス説が有力だと。その様子を元隊員の証言がある。「毒ガスで死にきれず、鋼鉄製のドアをたたき、苦悶のうなり声をあげ、のどをかきむしって苦しんでいた。特別班員がゆっくり近づき、胸に向けモーゼル銃の引き金を引いた」
「殺したマルタの足を引っ張って、7棟横にあった大きな穴の中に、次々と死体を放り込み、ガソリンと重油をかけ火をつけた。(略)11日の午後だったと記憶している。生首の標本や細菌培養の寒天、膨大な書類や器具・・浮足だった隊員は焼却半ばで土をかけ、逃亡してしまった。そのため土の中から手足が突き出ており・・吐き気をこらえながら作業」
スペインの思い出 これらの隠滅作業を命じたあと、16日夜石井は731部隊員と家族に対し「日本は負けた。お前たちは今から内地に返す。(略)だが731部隊の秘密はどこまでも守り通してもらいたい。もし軍事機密を漏らした者がいれば、この石井はどこまでもしゃべった人間を追いかけていくぞ」と貨車ごとに大声で演説したという。ほとんどの隊員は固く口を閉ざした。
石井ら幹部は一般人がソ連軍に追われる逃避行に追い込まれる中、彼らは特別列車で安全に日本に逃げ帰り、実験資料を金沢市に保管、千葉の石井の実家にも隠した。そして、病死を装い、千葉で偽の葬式まで行い、行方をくらました。隠した資料を取引に使った。
戦後、石井らが免責された背景に、米ソによる人体実験のデータの奪い合いがあり、隊員の一部はソ連の捕虜となり、抑留された。その尋問で柄沢十三夫少佐は人体実験の事実や総指揮者が石井四郎であることも自白した。ソ連はGHQに対し実験データを米ソで独占することを持ちかけたが、米側は単独での資料独占をめざし、石井と交渉に入った。
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