オリーブ畑
7日(火)寒の戻り。曇りながらテニスができた。FacebookやTwitterで選挙運動をやっているが、某所から違法ではないかと指摘があり、総務省のホームページで確認したらだらだらと書いてあったが、要はブログも上記の手段も何の問題もないことがわかった。
でなければ解禁の意味がない。前号で紹介した捕虜虐殺の証言はWikipediaでも引用されている。石井は実験データの独占をめぐる米ソ対立を利用して自らの免責工作に乗り出す。自分を尋問した人物に「データは渡さない、詳細は知らん、忘れた、すべて破棄した」
と答えながら、「もしあなた方が私自身と上官、部下宛に文書で免責を保証するなら、すべての情報を提供できる」と答えたという。石井は完全にアメリカになびき、「細菌戦エキスパートとしてアメリカに雇っていただきたい」とさえ述べたという。これこそ国賊だ。
洞窟?内のフラメンコショー
米側は731部隊員の口を割らせるために9項目の密約(安全を保障するいわば司法取引だ)を結んだ。要旨は石井ら幹部20名に限定、戦犯の訴追から絶対的な保護を受ける、報告者は一般に公表されない、主要な研究者はアメリカへ行くことが許可される等。(青木富貴子「731石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く)
731部隊の医学者たちは、以上の条件を飲むことと引き換えに、鎌倉で60Pに及ぶ英文の人体実験レポートを書き上げる。石川太刀雄丸解説の病理標本8000枚が米国に送られた。アメリカはナチスドイツを裁いた裁判で残虐な人体実験の医師を追及する一方で、731部隊を免責した。
この取引の結果、東京裁判においても731部隊の関係者は誰一人として裁かれていない。占領が終わった後もマスコミ等で問題とされることもなかった。信じられないことである。この鬼畜集団ともいえる極悪罪人である731部隊員が戦後一般社会に存在した事実を暴く。
熱気ムンムン
ほとんどの幹部隊員が大学に戻り研究者や開業医として平然と職に就いたのに対し、隊長であった石井は新宿若松町の旅館経営者に収まっているが、さすがに世間の目は厳しく、48年~57年まで姿をくらまし、その間、50年の朝鮮戦争で米軍に協力したとの情報も。
58年に姿を現し、731部隊の少年兵の同窓会に参加し「私は必ず復活する」などと話していたというが、59年、喉頭がんで67歳で死去。NO2の北野政次、東大医学部出身で現地では人体実験の推進者。戦後石井の右腕と言われた内藤良一とミドリ十字を設立。
ミドリ十字の前身は日本ブラッドバンク・血液銀行の取締役、現在の田辺三菱製薬だが、ミドリ十字と言えば薬害エイズ事件で被告となった悪名高い会社だ。石井の跡を継ぎ、2代目部隊長、石井の葬儀では委員長を務めた。86年91歳まで生き延び、天寿を全うした。
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