西川の菜の花と桜
18日(土)快晴。西川の土手の花見をしながら、そのまま歩いて買い物。今日はさわらが手に入ったので、さわらと玉ねぎの卵とじが我が家の一品になる。帰宅して、庭弄り。近辺の家々は庭師を入れて、手入れされる家が多いが、我が家にその余裕も意思もない。
沖縄の翁長知事を再度見直した。安倍首相との会談でもはっきりと「銃剣とブルドーザーで強制撤収された。土地を奪っておきながら、嫌なら代替案を出せとは、こんな理不尽なことはない」「辺野古問題は県民と米政府との問題」としてアメリカに直接訴えると。
つまり、安倍政権は当てにならず、アメリカ政府や国民に訴えるという。私もそれに賛成だ。アメリカ政府内や国民には沖縄の基地の在り方に疑問を持っている勢力がかなりあるとの情報もある。アメリカとはっきりとした態度で交渉できない安倍政権などいらない。
大河津分水の桜
関西電力は予想通り運転差し止めの仮処分決定に異議を申し立てた。少なくともこの裁判確定までは稼働はできないのだから、年内の稼働はなくなった。処分決定を出した裁判官は家裁に異動になったらしい。左遷ではないのか。期待をせずに見守ろうと思う。
私の地元紙・新潟日報への投稿は昨年9月以来、没にされ続けている。と言っても3回だが、この窓の欄にも政治的発言が少なくなったような気がするのは私のひがみか。あるいは前回掲載をめぐって編集者とやり取りがあったのが原因だろうか。没原稿を転載させていただく。
国上寺のしだれ桜
私の記憶では731部隊の存在が教科書に載ったことはない。従軍慰安婦や南京虐殺の記述内容まであいまいになってしまった。沖縄の集団自決に関する記述も強制性を明記した出版社が今回の検定で消えた。この問題こそ沖縄の人々の怒りを招いた問題なのに。
戦争の足音が聞こえる(教科書介入は戦争への道)
在職中、教科書研究や採択に関わってきた者として、教科書検定はここまで来てしまったかと思い、戦争への道を危惧せざるを得ない。教科書検定のない時代、学校も社会も自由で平和だった。江戸時代は勿論、明治初年、戦後しばらくは自由発行・自由採択だった。日本で教科書検定が始まるのが1886年(明治19年)、8年後に日清戦争が起きた。国定教科書が誕生した1903年の翌年には日露戦争が、それ以後は周知のとおりである。
世間では教科書に政府見解を書かせるのは当然だという意見があるようだが、少なくとも戦後、その考え方は否定され、教科書会社に任された。教科書会社が執筆を研究者や現場の教師に依頼し、行政は誤字脱字の検定をするものとされた。ところが、今や教科書会社は政府の顔色をうかがい、研究者は面倒を嫌い、執筆辞退の動きがあるという。世界的に、国家が科書の内容に介入し、採択まで左右する国は北朝鮮や中国など社会主義国を除いてない。今の政権が誕生して以来、教育統制が露骨になっている。由々しき事態である。
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