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NO3052 731部隊の蛮行と新潟(66)

国上寺駐車場の桜

国上寺駐車場の桜 20日(月)曇。常石敬一氏の「医学者たちの組織犯罪」に新潟の名が時々登場する。ほとんどの幹部がアメリカ側の尋問に「記録はすべて燃やされた」と答えたが、実は「そのつど東京の軍医学校に運ばれ、空襲激化とともに被害を避けるため新潟に移されていた」

 

 満州の関東軍がそうであったように、731部隊もまたソ連参戦の情報をいち早くつかみ、逃げ出す準備にかかる。ソ連は日ソ中立条約の期限切れ(46年)の一年前の45年4月5日に条約の規定に従って延長しないと通告してきた。軍部はソ連がいずれ参戦してくると予測していた。

 

 731部隊の南部への移転計画が立てられ、6月には「家族を日本内地に帰したいものは手配する」との布告があった。実際、前出の悪名高い吉村班の班長吉村壽人は妻と子供を安全に帰国させた。満州開拓団や青少年義勇軍の若者はそうした情報など知る由もなかった。

 

国上山山頂

国上山頂上広東やシンガポールにあった防疫給水部隊の家族に対しても同様の措置が取られた。と同時に証拠隠滅の準備も開始された。というのも、3月と5月の東京空襲で東京の石井機関の要の防疫研究室が炎上していた。それ以前から重要書類を新潟と山形に疎開させていた。

 

731部隊と新潟はどんなかかわりがあったのか見ていく。87年8月6日、新潟日報は一面トップに「あわや白根にペスト菌基地」-風船爆弾用かーの記事が載り、同日から「黒い弾頭」と題する9回に及ぶ連載が始まって、何も知らない県民に大きな衝撃を与えた。

 

この連載がきっかけになり、県高教組の社会科教師が中心となり、「新潟県と731部隊」足跡調査委員会が組織され、証言集めが行われ、94年「中国の大地は忘れない、731部隊展・新潟」が開催された。その際、中・高校生のみなさんへという小冊子が発行された。

 

佐潟のチューリップ 

佐潟のチューリップ石井四郎による防疫研究室(防研)が新宿に開設されたのは32年だが、ここは基礎・理論面の拠点であり、人体実験から人目を避けるためハルピン郊外の平房に実戦部隊ができた。空爆を避けるため、「陸軍軍医学校新潟出張所」が新潟競馬町にできたのが44年4月。

 

現在関屋分水近くの信濃町・文京町と名前が変わり、競馬場は隣の豊栄市に移った。3代目所長が石井の右腕と言われた内藤良一(ブラッドバンク社長)、平房における細菌戦研究のトップであり内藤とともに石井の片腕だったこれも前出の金子順一少佐であった。

 

金子について書き加えれば、先の新潟出張所は「東芝生物理化学研究所新潟支部」技師長になった。旧軍時代の約600名中180名がここに移った。戦後ワクチンメーカー「デンカ生研(株)(五泉、糸魚川)となる。金子らは新潟滞在中は鍋茶屋(新潟一の高級料亭)を宿泊所とした。

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