田植えの終わった新潟平野が見える 5日(火)快晴。子供の日(端午の節句)日本の祝日で天皇とかかわりのない数少ない祝日だ。今日は家内は仲間と一泊の温泉旅行。私は一人で角田山登山。ほたるの里コース(2.9㌔)から登る。最後の300段を超える階段が難所。1時間40分もかかった。でも爽快。
今朝の日報で安倍が第一安倍内閣退陣後、村山談話について「村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られる必要はない」と雑誌の対談で述べていたと知って、この男はまるで歴史がわかっていないと怒りが湧いた。あの反省と謝罪が個人的歴史観だと?
そんなことを言えば、近代民主主義の基礎となったアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に盛り込まれた「自由・平等・幸福追求の権利」もラファイエットやジェファーソンの個人的歴史観になるのか。日本国憲法の諸原則はこれらの宣言に由来することも理解していないのではないか。マッカーサー草案を書いたホイットニーの頭にはこの宣言があった。つまり、民主主義の普遍的原理である。
尾根伝いの登山道 元はと言えば、暴力によって成し遂げられたアメリカ独立やフランス革命ではあるが、その理念が人間社会の理にかない、世界の人々が受け入れたからだ。他国を侵略してそれについて反省し、謝罪するのは当たり前のことだ。それなくして未来志向を語る権利など安倍にはない。
新聞は「過去にけじめを狙う」などと書いているが、けじめというのは日本がアジアに対して犯した数々の悪行をその真相を明らかにし、事実が明らかになったら、そのことについて謝罪し、賠償することがけじめだ。朝鮮人、中国人の強制連行もその一つである。
今北朝鮮に拉致された日本人を一日も早く取り戻さなくてはならない。しかし、考えても見よ。70年代に集中したこの無謀な「拉致」と同じことを日本という国はあの戦争中、中国と朝鮮半島でやっていた事実を日本人は忘れたのか。強制連行とは拉致と同義語だ。
我が家のつつじは5分咲き 全体像を示す前に劉連仁(リュウリエンレン)という、日本で大きなニュースになった人物を思い出してほしい。中国山東省高蜜市出身で日本に強制連行(拉致)され、北海道の炭鉱に送り込まれ、ほぼ一年後脱走し、戦争終結を知らないまま13年間も山中逃亡を続け、58年(昭和33年)発見された。
もちろん帰国したが、96年、東京地裁に日本国を相手に提訴、00年判決を聞かないまま死去。裁判は遺族が引き継ぎ、01年東京地裁は劉さんの訴えを全面的に認めたが、国は控訴、例によって東京高裁は原告の訴えを棄却。全国の新潟を含む同様の裁判はすべて敗訴。
劉さん連行の模様。44年9月、劉さんは村はずれの葬式に出かけた。妊娠中の妻に送られて家を出て、田舎道を歩いていると、「とまれ!」小銃を構えた汪精衛(日本軍の傀儡軍)の兵が3人、縄で縛られ、日本人合作社に連行された。やがて全員80名ほどになった。 つづく
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