帰国後の幸せな劉さん一家
7日(木)曇。また又恥ずかしくなるニュースが飛び込んできた。米英独豪加オーストリア、シンガポールなどの歴史学者(日本研究者)187名が連名で「偏見なき過去の清算を」とする声明文を安倍首相に送ったというのだ。安倍首相が頼りにする米国の学者が中心だ。
戦後70年談話を念頭に「過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会」と指摘し、「可能な限り完全で、偏見のない(過去の)清算をともに残そう」と。特に従軍慰安婦問題に触れ、「否定したり、小さなものとして無視したりすることは受け入れられない」
同時に声明は「戦後日本の歩みを『すべてが祝福に値する』と評価しつつ、「世界から祝福を受けるに当たっては障害がある。それは歴史解釈の問題だ」安倍はよく、「日本は戦後平和国家として世界に貢献してきた」というが、そのことに異議を挟む日本人はいない。
新潟に杉の木と男は育たないと? 戦後の自民党の政府でさえ、常に後ろめたさを感じつつアジア外交に取り組んできた。戦後、50年も経って、気に入らない社会党政権だったとはいえ、党として同意し、全員一致の閣議で発出したのが村山談話だった。それを再否定しようとしているのが安倍首相だ。
劉連仁さんの強制連行も日本が清算しなければならない過去なのだ。劉さんは敗戦まであと一か月だったことを知る由もなく、仲間4人と脱走を決行する。月も星もなかった夜9時過ぎ、便所のためから汲み取り用の溝に出て、逃走に成功、西北の方向に見当をつけて。
雨に打たれ、風に吹きさらされて、眠るときは交代で見張り番をつけた。野草やニラ、山白菜、毒キノコまで食して猛烈な下痢に苦しめられながら・・。そして敗戦、それも知らずに雪の洞穴で「冬眠」し、北海道中を逃げ回った。58年2月日本人漁師に発見された。
我が家に住み着いた?鳩 58年4月15日、日本船・白山丸で華北の塘沽(タンクー)に着き、14年ぶりの帰国を果たした。あの日23歳だった妻は37歳に、劉連仁は47歳。強制連行の日、妻の体の中にあった新しい命は14歳の少年に成長していた。そして日本政府を相手に訴訟を決意する。
すでに書いたように、劉さんは提訴後00年に死去したが、妻や子どもたちが訴訟を引き継いだ。01年東京地裁は劉さん遺族の訴えを全面的に認め、国に対し、妻に1200万円、子どもたちに各400万円の損害賠償を支払うよう命じた。国は控訴し05年高裁は逆転判決。
東京高裁と言えでも、強制連行、虐待、強制労働に耐えきれずに逃走、帰国後の後遺症の事実関係を全面的に認めざるを得なかった。ではなぜ棄却なのか。「国家無答責の法理」(当時国家賠償法がなかったから賠償責任はない)こんな屁理屈が公然と許されるのか!