マドリードの小路
12日(火)曇り。久しぶりにテニスができた。公明党は安倍政権に完全に屈し、結党の精神を投げ捨てたかに見える。こんな危険な内容の安保法制に同意するとは全くの驚きだ。初代創価学会会長・柏崎市出身の牧口常三郎(治安維持法違反で獄死)は泣いていよう。
先号で紹介した安井俊夫氏は産経新聞ごときに批判されるような社会科教師では断じてない。氏の著書「子どもと学ぶ歴史の授業」「子どもが動く社会科」の題名で分かるように、徹底して子どもたちに寄り添い、大学に移られてからは歴史学と歴史教育の架け橋になられた。
新潟にも二度ほどおいでいただき、学年単位で体育館で杉田玄白の「解体新書」の公開授業をやられ、生徒ばかりか参観した教師たちにも大きな感動と影響を与えられた。私個人も「新・楽しくわかる中学社会科の授(上)」という教師向けのマニュアル本の共著者の栄誉を与えてもらった。
マドリードの小路 先生にはもちろん、大学生を対象にした「15年戦争への道、自ら考える日本近代史」という著書もあり、産経新聞が自虐だという日本がアジアで何をしたかの授業に当然力を入れられた。日本が戦前、中国ばかりか、東南アジアや韓国で何をやったかを先生に代わって綴ってみよう。
私のブログは硬派を自称しているが、日本の過去を問う連載が始まってから、アクセスががぜん増えてきたことに驚きとともに喜んでいる。やはり心ある読者は少なくないのだ。産経が非難する「歴史教育者協議会」は49年設立で、その趣意書の冒頭に「私たちは限りなく祖国を愛する」とあり、私はそこに惹かれて加入した。
朝鮮半島(韓国)で日本がどんな悪行をやったかについて暴かざるを得ない。日本が韓国を併合(日本の領土とする)するに至る歴史は日清戦争に遡る。その前に、言うまでもないことだが、日本と朝鮮半島とのつながりは漢字や仏教など日本文化の源流とも言える関係にある。今の天皇が皇室の祖先にも朝鮮人の血が流れていると話され、右翼は動転し、私も驚いた記憶がある。関西人の4人に一人は朝鮮人を祖先に持つとの説もある。
日本が鎖国をしていた江戸時代には朝鮮も鎖国中で、中国(沖縄を通じての交流)を除いた国との外交関係はなく、勿論、欧米諸国との付き合いもなかった。鎖国中の両国には封建制と外国からの侵略の危機という点でも共通点があった。なのに、その日本が朝鮮に向かう。
西郷隆盛の征韓論、大久保利通の征台論である。この両者は日本国内の混乱を海外侵略によって解決しようとした点で共通している。私は日本がアジアと手を組んで欧米に対抗し、植民地化に立ち向かうのではなく、欧米と手を組んで解決しようとした、脱亜入欧の考え方、これが日本近代の不幸の始まりだったとみている。
日本は1875年、朝鮮に対し、日朝修好条規という、日本がアメリカのハリスによって押し付けられた日米修好通商条約とそっくりの不平等条約を朝鮮に押し付けた。関税自主権を奪われた朝鮮は貿易業者に課税した。日本は軍艦を派遣し、これを撤回させた。 つづく
マドリードの小路