こんなホテルも
13日(水)晴れ。昨日、今日とPCの不具合の為に、Norton,NTTやOCNとの電話のやり取りで半日を費やす労力。これが何年かに一回はあるから困ってしまう。NortonもOCNも音声ガイダンスでつながるまで容易ではないし、出てくるスタッフは中国人。これも合理化の証?
今朝、東北でかなり大きな地震があった。ネパールと言い、火山の動きと言い、世界中の地殻が動いている感じだ。地震というとすぐ原発のことが思い浮かぶが、福島の汚染水タンクが倒れることはないのだろうか。中古品が使われているとか、溶接がいい加減とか・・の情報も見た。
戦時中鬼畜米英を国民に煽り、敗戦によって戦犯として逮捕され、釈放された人々が日本のリーダーとなり、今度は占領軍に媚を売り、対米追随外交の礎を築き、今その孫たちがさらなる対米服属外交を展開している。あの大騒ぎしたオスプレイを17基も購入する?
スペインの思い出 その総額が3600億円余り、今年度の社会保障費削減額3900億円にほぼ匹敵する。軍事費と社会保障費は大いに連動していることに国民は気づかなければならないと、元外務省情報局長・孫崎享氏はブログに書いている。そんなことを一般紙は何も報じないではないか。
さらに現存のオスプレイを横田基地に配備するという。一体この国はどうなっているのだ!しかし、考えてみるとこの追随外交は先号に紹介した日朝(日鮮)修好条規の押し付け外交にその起源がある。1875年の江華島事件は沿岸測量で挑発したやり方といい、
当然、領海侵犯による挑発だから朝鮮は砲撃する、待ってましたとばかりに江華島を砲撃、大砲36門を奪った。このやり口も、当時の外務大臣(卿)・寺島宗則はアメリカ大使ビンガムに「軍艦を率いて朝鮮の開国を迫るのはペリー来航に学んだのだと」あけすけに語ったという。
スペインの思い出 日本がそうであったように、朝鮮でも日本との不平等条約に反対する声が起こり、1880年、朝鮮政府はその改正を要求した。82年7月、ソウルで兵士や市民による暴動が起き、やがて反日運動に発展。それは同時に反政府運動ともなり、東学党の乱につながっていく。
朝鮮政府が東学党の農民反乱の鎮圧を清国に要請、これに日本は安倍政権が持ち出したと同じように「居留民の保護」を理由に出兵するに至る。乱が収まった後も日清両国は撤退せず、朝鮮の政治改革の名目で内政に干渉を続ける。どちらの言い分にも理はなかった。
1894年8月1日、明治天皇は清国に宣戦を布告。理由は「東洋平和のために」である。清国も宣戦「韓国民の苦しみを救うため」東学党の乱はすでに収まり、出兵の口実はなくなっていたにもかかわらずである。戦争の口実などいかようにも作り出せるという好例である。