傾いたままの無人の家
2015年6月1日(月)快晴。昨夜9時半、東北の旅から帰宅した。今回は無論、岩沼市で行われた「森の長城プロジェクト」主催の植樹祭参加が目的だったが、被災地の復興の様子や今年から通行が可能になった原発立地の6号線の様子も是非見てみたかった。
全走行距離約1200km、日本列島の半分ほどの走行になった。ほぼ一人で運転をやり遂げ、自分の体力に自信をつけた。当初は北上途中に通過する予定だったが、植樹開始時刻に間に合うか不安が出て、帰途、花巻から東北自動車道を南下し、仙台で降りて、南相馬市に向かった。
昨年まではここから南は広野町まで(約100km近くはあろうか)は通行止めだった。今回の旅の衝撃はこの区間の様子である。何をおいてもこのことは報告しなければと思いながら走った。なぜマスコミはここに入って、この廃墟と化した実情を伝えないのか!
人気のない商店通り SAで入手した東北エリアマップには「『福島県浜通りを走行される方へ』とあって、国道6号及び県道36号について、帰還困難区域を通過できますが、軽車両及び歩行者は通行できません」と赤字で書いてあった。つまり、浪江、双葉、大熊、富岡町にかかる区域のことだ。
3年前に泥上げボランテイアに入った山元町を過ぎるあたりから、南相馬市にかけては、屋根は完全に修復され、新しい家も建ってはいたが、水田や畑は草茫々で、これだけでも十分心が痛んだ。ところが浪江町に入った途端、風景は一変した。町境に仕切りがあるわけではないのに・・。
屋根の瓦には土嚢や青いシートがかけられ、塀は倒れたまま、あちこちに戸や窓のない家も見えるし、道路沿いのガソリンスタンド、衣料品チェーンのしまむらなどの商店、レストラン、銀行、ホンダのショールームなど、4年間の荒れ放題の醜い姿を晒していた。
封鎖された家 もちろん、6号から街中や伊達市や福島市、二本松市など内陸に通じる道も封鎖され、入り口にマスクをした二人~三人連れの警備員が見張りに立っている。6号線はパトカーや消防車が行き交い、止まって外に出ることもできず、車中から家内が写真を撮るのが精一杯。
もっとショッキングだったのは、双葉、大熊町沿いは、家やお店を頑丈な柵で封鎖、人ひとり通さないという威圧感を感じたこと。町を少し外れれば、「動物衝突注意!」とか「狸やイノシシ衝突注意」の看板。ちょっと道路脇に車を寄せると、後ろからビーとやられる。止まるな!?
道路の何か所かに放射線量を示す電光板、一番高かったのは毎時4.2μシーベルト。新潟が0.0μレベルだから、やはり比べ物にならない高さなのだ。福島第一原発入口の看板の立つ海側の水田や畑には黒い袋に詰められた除染物が延々と続く。海側への道路も無論封鎖。まさにゴーストタウンだ。