植樹祭の会場・岩沼市
4日(木)曇り。今日は我ら夫婦の48回目の結婚記念日とあの忌まわしい中国北京での天安門事件の日でもある。結婚は長ければいいというものでもないが、赤の他人同士が家族のだれよりも長く生活を共にしてきたわけだから、やはり素直に喜びたいと思う。
東北の旅の報告を閉じるに当たり、意義あると私が考える「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」を改めて紹介したい。先日の年金組合の参加12名の中でさえ、ご存知の方はいなかった。マスコミがこうした活動を紹介しないのも原因だと思う。残念なことである。
このプロジェクトは震災の翌年7月に一般財団法人として設立された。先日紹介した元総理細川護煕氏や横浜国大名誉教授宮脇昭氏(世界各地1700か所で4000万本の植樹の指導をされてきた方)の呼びかけで始まった。呼びかけ人や賛同者の顔ぶれからして脱原発派が多い。
全国から5000人もの人が 設立時の宮脇氏の説明では、被災した青森県から福島県にかけての海岸線400キロに「海岸に穴を掘り、瓦礫と土を混ぜ、カマボコ状のほっこりしたマウンド(土塁)を築く。そこに、その土地本来の樹種である潜在植生の木(シイ、タブ、カシ)を植えていく。
10~20年で防災、環境保全林が海岸に沿って生まれ、森全体として9000年は長持ちする持続可能な生態系になると。将来、再び巨大な津波が襲来しても、森は津波のエネルギーを吸収し、これらの木は地下深くに根を張る性質から容易に倒れず、波砕効果もあると。
記者から「瓦礫を使うことに問題は」との質問に、「瓦礫を使うことこそに意味があって、根は息をしており、生育には土壌の通気性が大事だ。土と瓦礫を混ぜることによって通気性の良い土になる。木材瓦礫は有機性の廃葉物はゆっくり分解し、樹木の養分となる。
植樹前のマウンド 宮脇氏はこれが完成すれば「南北400キロ、幅30~100mの鎮守の森を再生できれば、緑の防潮堤になるばかりか、鎮魂の場にもなると。そして「世界に例がない先見的な試みをやってのけた時に、世界の人たちは『さすが日本人』というに違いない」と語った。
このプロジェクトは10年の歳月と巨額の費用を必要とする。宮脇氏は当初から瓦礫の全国への搬出に反対されていた。マウンドの造成には復興資金が使われ、苗木と植樹は寄付とボランテイアに頼っている。今回は全国から5000人もの人々がバスや電車で集まった。コンクリート堤防よりはるかに意味のあるプロジェクトであると、素人の私などには思える。
宮脇氏は体調を崩されたとかで欠席された。87歳とのことである。タブやシイなどの東北の種子を九州その他で育てられた苗木が現地に届けられていた。植樹の後で敷く藁は中国からの輸入だという。中国とケンカなどしていられない。藁さえ入手できなくなるのだ。