全国からバスを連ねて
8日(月)曇り。北朝鮮による日本人拉致事件は許しがたい蛮行だが、我日本がそれと同じことを戦時中にやった事実を受け入れない想像力の貧相な人たちがいる。そればかりか、事実そのものを否定したり、日本に受け入れてやったかのごとき発言がネット上に溢れている。
例えば池田信夫という経済学者?は「強制連行は朴慶植が65年の著書で作った造語であるとし、戦時に政府が労働者を動員する方法は募集か徴用であり、後者は拒否すると罰則があったので、これを強制連行と呼んだものと思われるが、朝鮮人に限ったことではない」などと言っている。
はしなくも解説してくれたようなものだが、自分の意志に反して連れてこられたことは認めたのかな。「朝鮮人に限ったことではない」とは3万9千人の中国人(日本の外務省の報告書)の強制連行、各戦地で慰安婦に駆り立てられたタイ、ボルネオ、フィリッピン等の人々を指すのかな?
封鎖された大熊町 現在はどこの国でも自らの意志で諸外国に移住し、結婚し、その国の人々に溶け込んで暮らしている人たちは沢山いる。日本と朝鮮との関係も古代まで遡り、日本に渡来し(帰化人)定住した歴史もあり、関西の4人に一人には朝鮮人の血がはいいってとの説もある。
今の天皇が即位にあたって述べられた皇室と朝鮮人の関係さえあったというほどだ。鎖国中の江戸時代でも中国、朝鮮との関係は途絶えることはなかった。近現代に入り、例えば韓国が日本の保護国にされる前年の1904年の在日朝鮮人は209人に過ぎなかった。
その後の在日朝鮮人の人口を追っていくと、韓国併合の5年後でさえ、3989人に過ぎず、日中全面戦争に突入した37年に79万9865人、太平洋戦争開始の前年40年が119万0444人である。それから敗戦の45年には2百数十万人となった。この間に何があったのか。
水田に積み上げられた核廃棄物 これだけの数の人々が祖国や故郷を捨てて、大半は自分の意志できたと説く自由主義史観論者たちの神経が知れない。池田信夫がいかにも問題がありげに取り上げた朴慶植氏が「朝鮮人強制連行の記録」(研究の端緒を開いた)を著わしたの65年は日韓条約が締結された年である。
中国では78年の日中平和友好条約まで、韓国は国家賠償によって請求権はすべて解決済み(日本政府の主張)、中国は戦時賠償そのものを放棄したことによってすべて解決済み(日本政府)だと。つまり、韓国は65年、中国は78年までは戦時法制下にあり、訴訟提起すらできなかったのだ。
強制連行された人々、慰安婦にされた人々、遺棄した毒ガス兵器による被害者などが、個人賠償を求めて一斉に訴訟に出るようになったのは、それからさらに10年~15年の月日を経た80年代になってからである。日本政府や企業は解決済みで逃げ切ろうというのか。日本のモラルが問われる。