デモの先頭集団 15日(月)昨日はお昼、新潟駅前の街頭と万代シテイの二手に分かれて、新潟県知事宛ての署名集め、1時間で9名しかもらえなかったが、全体では241筆集まった。自分から近づいてくる人もいれば、全く関心なく通り過ぎる人もいる。こっちの方が多い。
原発で頑張っている知事を応援したいんですと声をかけたら立ち止まった人が数名いた。大阪や鎌倉から観光に来られている方からもいただいた。参加者の方々の話を総合すると、何か流れが変わってきたと感じるということだった。その後石宮公園で集会、60数名。
後方集団 万代シテイまでの往復デモ行進。すべて終わって友人3人と飲む。話題は専ら安倍政権批判。語学に関心のある3人なので、その後アイリッシュパブ、さらにニュージーランド人経営のバーで3次会となった。9日に投稿した拙文が昨日の朝刊に掲載された。いつものことだが、タイトルが「時止まった被災地に絶句」と変えられた。
原発再稼働はあり得ない
「先日、家族で東北被災地の森を再生する「森の長城プロジェクト」の植樹ボランテイアに参加した折、被災地を巡り、帰途、福島県の6号線に出て、「帰還困難区域」の浪江、双葉、大熊町に入って愕然とした。他の被災地は曲がりなりにも瓦礫の撤去も終わり、土地のかさ上げ工事や住める家の修理などの槌音が響き、復旧が進んでいた。
ところが、この3町に入った途端、壊れた屋根や戸はそのまま、まだ真新しいお店やガソリンスタンドには縄が張られ、人の気配がしない。町内に通じる道路は鉄柵で封鎖され、道路沿いの住宅にも鉄柵が張られ、道路には放射線量を示す電光掲示板があり、水田に目をやれば、除染した廃棄物を入れた黒い袋が積み上げられている。まるで廃墟だ。
デモに見入る若者 この3町の実情は報道されたであろうか。私は寡聞にして知らない。まぎれもなく、原発事故によってもたらされた廃墟、未だに故郷への帰還を許されない13万人余の避難者を思い、胸が張り裂ける思いだった。こんな状況で「避難指示解除準備区域」解除の話が出ているが、まさか賠償打ち切りのための動きではないと信じたいし、まして原発再稼働などありえない」
再稼働などあり得ないのに、柏崎・刈羽の商工団体が地元同意と称して、議会に働きかけを強め、刈羽村で18日、柏崎市議会では23日に採決の動きがあると。東電が本社機能を新潟に移した途端にこの動きである。命より経済を優先させる事故以前の姿である。又、予想通り、福島原発廃炉工程表の延期が発表になった。溶融燃料(デブリ)の取り出し目標が6年後の21年12月意向だというが、それも目標に過ぎない。これもオリンピックを意識した決定だろう。燃料の状態も分からない状態でなぜ取り出し目標が言えるのか。