ハノイ郊外の下校風景
18日(木)晴れ。18歳選挙権が実現したのは喜ばしいことだが、それを巡る自民党の教育現場への介入の動きが露骨だ。マスコミの取り上げ方もおかしい。例えば、地元紙にQ&Aが載っているが、Q課題はなんですかに対するA「主権者教育が重要です」と答えながら、
「教諭が特定政党への支持を生徒に押し付けるといった事態を防ぐため、教育の中立性確保も課題です」世間にはもっともらしく響きそうな言い草だが、全く教育現場を知らない自民党の言い分そのもの。中学生でも教師の押し付けをそのまま受け入れる生徒などいない。
Q&Aの隣に「不偏不党悩む教育現場」があって、神奈川県教委の取り組み?が載っている。公立高校で実際の選挙期間中に「各党の政策を比較して望ましい政策を自主的に判断し、候補者名や政党名を用紙に記入して一票を投じる」いわゆる模擬選挙の実践だ。
自転車修理します ところが、この選挙には多くの制約があって、「政党のマニフェストの一部を抜粋した比較資料の作成は禁じられ、政策がもたらす影響を生徒に聞かれても『価値判断を含むコメントは一切禁止』」「投票結果は学校外に漏れないように、生徒には口頭か板書で伝える」
呆れると同時に笑ってしまう。これを実践した同県の高校教師は「選挙の争点を示して議論を促すことも出来なければ、生徒が意見をぶつけ合うこともできなかった」と。当然だろう。生徒に議論をさせることが教師の価値判断を禁じた内規に抵触するというのだ。
又埼玉県の高校の模擬選挙でも、教諭が生徒の要望で各党のポスターを廊下に張り出そうとしたところ、教頭からストップがかかった。学校側の自主規制を感じたという。この実情を欧米諸国に発信したらどうか、又国連に報告したらどうか。笑いものになるだろう。
アパート一階の乳児院
私が在職中にやった授業もすべて神奈川や埼玉の内規に触れたことは間違いない。私なら、そんな内規の下でなら授業はせず、その内規を生徒に示してその是非を議論させるかな。そもそも「不偏不党」とか「教育の政治的中立」とは権力側に求める言葉だったのだ。
例えば旧教育基本法第10条は「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して責任を負って行われるべきものである」そして、2項にはその自覚のもとに、教育行政は教育内容には口を出すなと書いてあった。第一次安倍政権がこの10条の内容を削除した意味が今の事態である。
今戦争法案で国家の危機が語られるようになったが、教育の現場でもまさに「存立危機事態」が進行中なのだ。それを許すかどうかは日教組や現場教師の闘いにかかっているが、もはや無力感だけが伝わってくる。市民や親が立ち上がるしかない。安倍政権を生み出した有権者の罪は重い。