昼休みの風景
24日(水)快晴。風も爽やか。昨日は沖縄慰霊の日。今朝の新聞に友人で沖縄県連会長の上地源光さんの談話「辺野古新基地建設反対は沖縄の総意だ」が載っている。昨日は午後その上地さんと年金組合の例会で慰霊の琉球泡盛を頂いた。沖縄守備隊長牛島満が自決した日でもある。
上地さんの話では牛島自決後も戦闘は続いたと。ネット上ではこの牛島や海軍の太田実両名の自決を「かって日本は美しかった」と讃える人もいる。私にはまったく理解しがたい。二人とも住民を守ろうとせず、最も安全な壕内で自決するどこが美しいのか。牛島の自決前の言葉は「最後まで戦え」だったと上地さん。
そもそも参謀本部は沖縄を守る意志も計画もなかった。その証拠に44年11月、沖縄防衛の主力である第9師団(一万3800人)を引き抜いて、台湾防衛につかせた。その補充に予定されていた部隊の派遣を「本土決戦」を優先させる作戦本部は中止したのだ。
米議員マケインが撃ち落された湖 沖縄防衛軍は兵力約2.5個師団(10万人で内地から派遣された部隊は5万に満たなかった。そこに米軍は18万3000人、5月下旬には23万9000人で襲いかかった。武器弾薬の差はもっと問題外であった。こうして4月1日、米軍は艦砲射撃を浴びせつつ上陸を果たした。
その模様を右翼から名指し批判された「学び舎」の教科書は「米軍は艦船が海上から砲弾を撃ち込み、空から戦闘機や爆撃機で襲いかかり、人も畑も森も吹き飛ばし、地形が変わるほどでした、さらに陸上では火炎放射器で炎を吹き出す戦車・・後に鉄の暴風と呼ばれました」
安倍が絶賛する育鵬社版教科書は「沖縄では激しい地上戦が繰り広げられ、日本軍は沖縄県民とともに必死の防戦を展開し」などと実態とは程遠い記述で、軍の命令による集団自決については「戦闘が激しくなると、逃げ場を失い、集団自決に追いこまれた人々もいました」
ハノイの高級住宅 実態は現場の教師たちが執筆した「学び舎」社版で「住民は壕やガマ(洞窟)にひそんで戦火を避けていました。日本兵がいたガマでは食料を出させられ、赤ん坊は外に連れ出すよう命じられました。米軍は外に出るよう呼びかけましたが、日本兵がガマの出口で銃をかまえていました」
「日本軍は最後には玉砕を決意して、住民にも手榴弾を配りました。住民がこの手榴弾を爆発させ、家族や近所の人たちと一緒に自決した例が数多くあります。座間味島で自決した135人のうち12歳以下の子どもが55人、女性が57人を占めていました」この内容でも教科書検定官は事実を認めざるを得なかったということだ。
安倍は戦争法案の成立で「抑止力が高まる」と、たわけたことを言っているが、その結果、沖縄が攻撃されるリスクが一段と高まることは決して言わないし、沖縄の住民のことより、アメリカへの配慮を優先させる国恥政権だ。思いやり予算に辺野古も差し上げますだと?