我がアパートに来たベトナム青年
30日(火)晴れ。百田発言に一番怒り狂っているのは沖縄の人たちだろう。沖縄に対する差別は琉球王国時代から変わっていない。昨日日報の「沖縄は問う」の記事をコメントした元沖縄県知事・大田昌秀氏は最後に「沖縄独立論もさらに広がりを見せるだろう」と。
この大田氏が「学び舎」の教科書に登場している。憲法制定時「1947年の夏、日本国憲法の写しが密航船で沖縄に運ばれました。沖縄の学生たちはこの憲法をノートに写しました。当時学生だった、後に沖縄県知事になる大田昌秀はすべてが目新しく、心にしみるものばかりだった」と。
沖縄は昭和天皇と吉田茂によってアメリカに譲り渡されたために、沖縄では円も使えず、道路も右側通行、手紙の交信さえ禁じられたために、今の憲法の中身すら知る術がなかったのだ。その後28年間も沖縄の人たちは基本的人権も保障されないまま放置されたのだ。
誇らしげに国旗を持って

戦後差別されてきたのは沖縄の人々だけではない。日本の旧植民地の台湾や朝鮮への差別。育鵬社は勿論、他社も触れていない。ただ一社、学び舎の教科書は「日本に住む朝鮮台湾など旧植民地出身の人たちは1947、5,2、憲法施行前日の勅令(天皇の命令)で「当分の間外国人とみなす」とされ、52年には国籍を一方的に奪われた」
「朝鮮出身の石成基は戦争中、日本国民として徴用され、マーシャル諸島の戦闘で右腕を失った。1952年、日本国民でないことを理由に戦傷病者に対する年金の支給は打ち切られた。石成基たちは日本政府と裁判所に国籍による差別を訴え続けたが退けられた。やがてこのことは国連でも取り上げられ、2000年に弔慰金などを支給する法律ができた」
この夏我が家に来る青年 こうした事実も知らされない国民は、韓国、中国の人々が戦後70年も経ってもなお、戦時賠償を求めて訴えていることが理解できないでいる。そして政府の「解決済み」という一歩的な言い分を信じ、反韓、反中の感情だけを増幅させている。それでは一等国とは言えない。
安倍や百田が推薦する育鵬社の公民教科書は押し付け憲法論を展開し、「権利と自由については必ず義務と責任が伴うことを忘れてはなりません」とか「公共の福祉による制限」など、現憲法を否定的に解説を繰り返して、自民党の憲法改正案を先取りした内容になっていることを知ってほしい。