角田山の花
9日(木)晴れ。テニスも老齢化が進み、メンバーをそろえるのが大変になってきた。タイトルの問題については在職中から怒り心頭だったが、今月3日付の毎日新聞、自民党が教職員の「政治的中立」を確保するため、高校教員の政治活動を制限し、違反者には罰則をとのニュースに火が。
そして、早くもそれを先取りするような「事件」、山口県柳井高校の授業に自民党県議がクレームをつけた例を紹介した。私が一番情けないと思うのは、日本人の多くが、これをおかしいとも思わず、「政治的中立」と言われれば、当然だと思い込まされていることである。
マスコミでさえそうだから、日本の民度が疑われる。一般公務員を含む教員が「政治的中立」を理由に政治活動を全面的に禁止され、今度は刑事罰まで科すという、およそ世界に例のない教育への権力介入が露骨に行われようとしている。なぜこうなったのか。マレーシアでさえ、昨年、教員によるデモが話題になった。もちろん合法的にである。
我が家の花・アガパンサス 世界に例がない異常な状態については、後回しにして、なぜ日本がこうなったのかについて戦後史を遡る。戦後、占領政策の柱に女性の解放、労働組合の育成、教育の民主化など5大改革指令があった。占領軍の庇護のもとに労働運動の育成は悲しいが、当然の政策だった。
労働運動は一気に盛り上がり、保守、資本家階級には脅威となった。47年2月1日にセットされた2.1ゼネストは保守層ばかりか占領軍にとっても脅威となった。この年に成立する国家公務員法はもちろん、労働3権を保証した憲法28条に基づいて、スト権も保障していた。
2.1ゼネストに驚いたGHQは1月31日、当時の全官公共闘会議議長の伊井弥四郎をNHKに連行し、スト中止を全国に放送させた。伊井は泣きながら「一歩後退、二歩前進」と中止を呼びかけた。翌年7月31日、マッカーサーの命令で政令201号が発表されたのである。
我が家の花 そこには「公務員は何人といえども、ストライキまたはサボタージュをなし、その他、国または地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとってはならない」とあった。これに飛び上がって喜んだ芦田内閣は48年公務員法を改正しスト禁止を盛り込んだ。
これは占領下のことで、GHQの命令は絶対であったから、やむを得ない面はあった。しかし、問題はこの占領下の命令が68年後の今日まで生き続けている事実である。52年のSF条約によって主権を回復した時、ポツダム緊急勅令や同政令が廃止されたにも関らずである。
国家公務員法が勅令や政令によらず、法律の形式をとっていたために、見逃されてしまったのだ。スト禁止の代償として設置された人事院規則14-17の全く前近代的な「煽り」などという規定も残されてしまった。この恥ずべき法律はILOから非難を浴び続けることになる。