レストラン内で釣り 16日(日)快晴。戦後70年ということもあって、新聞、テレビとも戦争関連記事や番組が多かったように思う。犠牲者としての日本を伝える内容が圧倒的だが、その犠牲者についてさえ、例えば東京大空襲の名簿や遺骨の取り扱いが遺族に明示されていないのだと。
言われてみれば、東京大空襲・戦災資料センターもこの問題を徹底して追求してきた、作家・早乙女勝元氏の呼びかけによって募金が集められ、設立された民間の施設である。本来ならば、国家や自治体がきちんと把握し、保障もすべきなのに記念館さえないのだ。
満州開拓団の引揚者数にしても、引揚者が設立した「自興会」の調査によるもので、常に民間が先行し行政は追認するだけ。ドイツベルリンに行けば市内各地に国や自治体立の収容所をはじめたくさんのモニュメントがあり、殆どは無料、税金で管理運営されている。
釣り上げましたー 15年前に都民から声が上がり、集まった募金や遺品などを展示するはずだった「平和祈念館」はアベに連なる自由主義史観グループの反対、妨害行動によって宙に浮いている。安倍には勿論その気はない。日独のこの点についての落差も歴史認識の差によるものだ。
先日、東大の石田勇治氏の日独の戦後補償の違いを紹介したが、さらに詳しく、私が調べた資料に基づいて紹介すると、ドイツ国内の自国民に対する補償は、遺族、戦争捕虜、引揚者等、社会保障的な性格を持つものとして、80年代末までに約6兆4000億円が支払われた。
国家賠償については、日本と違い、基本的に国家が分裂していたこともあって、連合国との平和条約の締結が統一まで留保された。そして、53年2月にロンドン債務協定が締結され、支払いが猶予された。東欧諸国は請求権を放棄、日本も中、印、ラオス等が放棄。
淀川沿いの散歩 各国は「ナチスの迫害による犠牲者」に対する補償は別問題であるとした。ドイツ政府はそれを認め、49年初代首相アデナウアーは議会演説でそれを認め、52年9月、ユダヤ人会議との補償協定を締結。56年6月制定の連邦補償法を成立させ個人補償が開始された。
その法律の前文には「ナチズムの権力支配の下で迫害された人々には信念に基づいて、もしくは、信仰または良心のために、ナチズムの権力支配に対して行われた抵抗は、ドイツ民族と国家の福利への貢献であること」すでに支払われた補償総額は6兆円、30年まで続く。
強制労働(ポーランドが最大で800万人)についても、80年代後半になっても、交渉が進み、統一後の92年4月28日「和解金創設」で合意、88年までの戦後賠償、補償の負担は国民一人当たりに換算するとドイツは実質的に日本の65倍になると。(93、8,18朝日新聞)