無駄な竹ヤリ訓練 23日(日)晴。安倍の憲法観は現憲法に対してはアメリカによる押し付け論、自主憲法制定というけれど、その中身は大日本帝国憲法の復活であり、自民党の憲法改正案をみればそれがよくわかる。旧憲法が果たして日本人による自主憲法だと評価していいかどうか。
旧憲法は伊藤博文ら4人のメンバーで完全な秘密裏に作成され、この憲法案審議のために作った華族による枢密院(当初のメンバーは12名)で審議され、1年足らずで議了、天皇に提出。伊藤は国民に内容が知られれば、反対運動が盛り上がることを極度に恐れた。
なぜなら、国会開設より20年以上も前に自由民権家たちによって自由や権利の拡大を求める運動があり、1880年代に次々に全国に設立された府県会を拠点に、国会の開設、憲法の制定を求める草の根の運動が高揚し、伊藤をして憲法制定に向かわせていたからである。
こんな姿を繰り返すのか 彼らは全国各地で学習会を開き、政治結社を組織し、政党の結成へと結びつけていた。五日市憲法案は基本的人権の保障、法の下の平等、言論の自由、地方自治などの現憲法に通ずる内容を盛り込んだ青年たちの活動に美智子皇后が感銘を受けたというのである。
自由民権運動の理論的指導者であった植木枝盛の「東洋大日本国国憲案」では、他の民間案に加えて、抵抗権や革命権まで認めるという革新的な案だった。安倍の軽薄な押し付け論や武藤貴也などの「基本的人権の保障が日本の伝統文化を壊した」等話にもならない。
つまり、日本人は自ら憲法をつくれる意志と能力を有していたということであり、安倍一派の言うようなアメリカからの押し付けでないということだ。逆に自分の祖父・岸信介ら戦後の保守層は天皇主義に凝り固まり、民主的な憲法を作成する意思も能力もなかった。
こんな日はもういらない 天皇自身も結婚50年の記者会見で「大日本国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と述べ、歴史を正確にとらえておられる。
天皇は又89年の即位の記者会見で記者会見で「天皇制、とりわけ、戦争責任については、自由な議論が封じられる風潮があります」との質問に「言論の自由が保たれるということは、民主主義の基礎であり大変大切なことと思っております」さらに記者から質問が飛び、
「今おっしゃった言論の自由は、戦争責任や天皇制の是非も含んでおりますか」との突っ込んだ質問に対しても「そういうものも含まれております」と、明言された。天皇が自らへの批判も尊重すべきだと。安倍政権による最近の言論弾圧に比し、なんと真逆なことか。