戦争法案反対集会
25日(火)昭和天皇語録を拾っていると、頭に血が上ってくる。昭和天皇のどこが「平和主義者」で「軍部に操られた人物」だったというのか。あの戦争の期間中、総理大臣や軍部がどう変わろうとも、すべての政策や作戦を直に聞き、裁可したのは天皇だった。
上奏に対して、黙っているときは不同意であるというのが側近たちの見方であり、その気持ちを忖度して側近は動いた。自分の意志をはっきりと伝えたいときは、2.26事件の際のように自ら行動した。戦後も国政に関われない筈なのに、自分の意見を表明した。
天皇メッセージもその一つ。さらに、88年5月26日付毎日新聞によれば「天皇陛下、駐屯軍撤退は不可なり、昭和30年訪米説明 重光元外相、日記に記述」と報じた。当時鳩山一郎首相は憲法を改正し自衛軍を整備、駐留米軍の逐次撤退とソ連との国交回復を掲げていた。
アベ政権は今すぐ退陣
30年8月に訪米しダレス国務長官と米軍撤退を含む日米安保条約改定などに関し会談する予定だった。ところが出発3日前の8月20日、那須御用邸に赴き内奏したところ、昭和天皇から重大な発言がなされた。中央公論社「続重光葵手記」には次のような記述がある。
「渡米の使命に付いて縷々内奏、陛下より日米協力、反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」まるで旧憲法下の天皇の振る舞いである。これこそ憲法第4条違反ではないのか。しかし、良く考えてみると、この規定に反すると思われる発言に対する歯止めの機関も法律もない。
天皇は沖縄をはじめ、日本駐留の米軍を撤退させるのは反対だと発言しているわけで、実際に訪米した重光外相はダレス国務長官に米軍撤退の話は持ち出されなかったとされ、天皇の「下命」が影響を与えた可能性が高いという。逆に、安倍は現天皇の発言を完全に無視している。
子連れのママも そこで思い出したが、授業で取り上げた、73年当時の増原防衛庁長官が内奏した際、昭和天皇が「近隣諸国に比べ、自衛力がそんなに大きいとは思えないが、なんで問題になっているのか」と聞かれ、感激した増原が「仰せのとおりです」と答えた一部始終を得意げに話して問題化した。
昭和天皇がA級戦犯合祀に反対して参拝をやめた理由が明らかになった。さあどうする櫻井よしこ様。安倍は行かなかったが子飼いの稲田朋美、高市早苗、山谷えり子らは昭和天皇の意志に反して今年も参拝した。今晩は教職員組合主催の集会・デモにこれから参加。