中国南部からの地形の続き
27日(木)曇天。私は経済問題に疎い。けれども、アベノミックスなる経済政策が大企業やお金持ちの為のものであり、弱者のための社会保障費を削ることによってしか財源を生み出せないことくらいは理解できる。そもそも自国の通貨の価値が下がって喜んでいる国があるだろうか。
安倍政権によって人為的に作り出された円安と株価高と言うのは誰にとって利益になることなのかを少し考えればわかりそうなものだが、トヨタや三菱重工の景気が良ければ、そのおこぼれがいつかは我々にも滴ってくるのだという政権の説明を本気で信じる国民?
そのアベノミックスの陰りが見えてきたのがこのところの株価の乱高下や消費の低迷ということになろうが、株価維持のために我々の年金が勝手に使われているらしい。そのリスクについては何も説明しない。今後の一番の景気対策は安倍政権を一日も早く倒すこと。
のどかな風景 中国から沖縄を切り離すために「琉球人を日本人として認めさせた」明治政府は、琉球処分後も日本人として扱っていない。旧慣温存令を出し、宮古島では人頭税(15歳~50歳)が残された。この税の廃止(1903)の為に奔走したのが上越市板倉町出身の中村十作だ。
沖縄にはイザナギ神話はなく、天皇を現人神として崇め、絶対服従する日本人と違い、戦争に行くことを嫌がる県民性は軍部に快く思われていなかったという。日本の県になった沖縄の貧困化と差別は県民をして南米やハワイ、南太平洋の島々への移民をせしめた。
そういえば、シンガポールにも沖縄からの出稼ぎ者の足跡が残っていた。九州の人たちもそうだが、日本本土をみるより、海外に目を向ける風土があるように思える。日本の軍部は太平洋戦争に備えるため、牛島満中将を司令官とする第32軍(6万人)を配備した。
ハノイの前の首都だが今は観光地 基地のなかった沖縄に大規模な基地を建設した。早くも天皇の為と言って、土地や家屋を接収し、基地や兵舎、陣地を作った。那覇飛行場や嘉手納飛行場の一部は当時国に没収されたものだという。服従心の薄い沖縄の人たちに「皇民化教育」の徹底もやった。
日本軍は沖縄での戦争をできるだけ長引かせ、アメリカの本土上陸を遅らせる作戦を取ったのだ。絶対に降伏するなと命じ、天皇制維持のために沖縄を「捨石」にする作戦だったのである。米軍は45年3月26日に慶良間諸島に上陸。「戦陣訓」を叩きこまれた530名を超す住民は集団自決。
4月1日、本島中部に激しい艦砲射撃(鉄の暴風と言われた)を加え、殆ど抵抗を受けずに上陸を果たし、日本軍は住民を盾にして南下することになる。捕虜になった住民は収容所に入れられた。収容所には学校まで開設されたという。南下する住民の悲劇が始まる。