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NO3176 沖縄を考える(3)

ベトナムの古刹

古寺院 27日(木)私のブログは頭を歴史的に整理するのに役立つと評してくれる読者が何人かいる。私自身もそうで、この沖縄問題も歴史的に整理しないと理解できない部分があり、この項は特に強く意識している。沖縄の悲劇は大本営が最初から沖縄を守る気がなかったということにある。

 そのことを「ほるぷ出版・日本の歴史7巻」から引いてみよう。大本営の参謀で、陸軍大佐・種村佐孝の個人日誌の4月2日に大本営の作戦連絡会の様子が書かれている。総理(小磯国昭)が戦況を聞いたのに対し作戦部長の宮崎少将は「結局的に占領され、本土来寇は必然である」と答えている。

 


 「アメリカ上陸の時点で沖縄を守る意志と計画を持たなかったということだ。その証拠に、44年11月、沖縄防衛の主力である第9師団(1万3800人)を引き抜いて、台湾防衛の任につかせたこと。その補充に予定されていた部隊の派遣を本土決戦重視を理由に宮崎の意見で中止したこと。」


寺院は風情がある
ベトナムの寺院は日本に似ている 当時の高級参謀の回想記によれば、「ほんとうに戦闘部隊として内地から派遣されたのは5万人に満たなかった」と。これに対し、アメリカは陸海の地上兵力18万3000人,最大時23万9000人、武器弾薬でも日米の差は歴然。そのことを大本営は誰よりも知っていた。


 それでも米軍は太平洋の島々の「バンザイ突撃」を恐れていた。島の中央部北(読谷)・中(嘉手納)を6日間でとる計画だったが、6時間で奪い取った。日本側に反撃する武器弾薬がなかったのだ。それでも4月5日から23日にかけ、嘉数台で激戦が行われた。


 米軍2万4000人、日本軍は6万4000人の死傷者を出した。日本軍は壊滅させられ、本島南部へ敗走することになる。その過程で日本軍による住民を壕から追い出し、艦砲射撃に晒す、日本軍による住民虐殺、ひめゆり部隊の集団自決などの悲劇が後を絶たなかった。


まさに中国の桂林
まさに桂林の風景 沖縄守備隊の牛島満司令官は「降伏するな、最後の一兵まで戦え」と命令しながら、自分は最も安全な司令部豪内で長参謀長とともに日本刀で自決するという無責任さであった。沖縄の人たちは事実上戦闘が終わった6月23日以降はもとより、敗戦後も壕に籠って抵抗したと。


 上地さんが今年平和の礎を訪ねた時、戦没者は24万人を超えていたという。敗戦後、住民32万5769人は12か所の収容所に閉じ込められ、故郷に帰ることを禁じられた。帰還が許されて帰ってきた故郷は金網に囲まれ、やむなくその周りにへばりつくように暮らしたと。

 

 上地さんの家族史は次号に譲るとして、47年すでに紹介した天皇メッセージがマッカーサーに届けられ、49年5月、アメリカ大統領は沖縄を本土から切り離し、長期的な基地保有と拡大政策を採用した。10月の中国革命、50年の朝鮮戦争で沖縄は「太平洋の要石」となった。  

 

 

 

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