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NO3178 沖縄を考える(5)

ベトナム青年の歓迎会

ベトナム青年の歓迎会 29(日)久しぶりの雨。今日は我が家にベトナムの青年3人が来る。そのうちの一人S君と08年11月から半年滞在した際知り合った大学生である。ハノイの大学構内や寮、学食などを案内してくれた。日本語に関心を持ってアパートにも来た。他の二人は友人とか。


 S君は今年の春から群馬県の大手企業で働いている。他の二人も鹿児島で日本語を勉強中である。私はいつも思うが、アジアの学生の中には日本にあこがれ、日本で働くことを夢見る若者が多い。その夢を必ず実現する意思の強さと努力にはいつも感嘆させられる。


 それに引き替え、日本の若者は「日本は先進国で遅れたアジアに学ぶものはない」とうそぶく若者もいるそうで、思い違いも甚だしい。他国に学ぶということは、多様な見方や考え方を知り、新たな発想を生み出す力になる。思い上がりは将来の日本を危うくする。


我が家の前で
我が家の前で 上地源光氏の話は初めて聞いたが、被爆者同様、気軽に話せる内容ではない。しかしながら、私は広く拡散すべき話だと思う。百田尚樹のように、沖縄の人々がお金欲しさに土地を貸し、高額の賃貸料で六本木で優雅に暮らしているかの如きデマを打ち破るために。


52年のSF条約によって日本本土が主権を回復した後も沖縄はアメリカの施政権下に置かれ、一坪たばこ一個の賃借料で土地を接収した。53年になると「土地収用令」によって強制的に土地収用までやった。立ち退きを拒否する農民の前で銃剣とブルドーザーで。


沖縄の総面積の14%、耕地面積の42%が米軍基地となった。土地を奪われた農民たちは朝鮮戦争特需の下、基地建設、基地労働者として駆り出されることになる。基地建設に携わったのはほとんどが本土の土建会社だったという。原発建設の構図と同じではないか。


新発田城前で
新発田城前で 54年にはアメリカは軍用地料を一括して払い、永久使用の暴挙に出た。まさにやりたい放題だったのだ。県民は土地を守る4原則を掲げて抵抗、アメリカの意図を挫いた。上地氏は57年7月、10歳の時、叔母のもとへ養子に入るために読谷村の楚辺に戻ったと。


土地取り上げ反対運動が高揚し、那覇市で沖縄人民党の瀬長亀次郎が那覇市長に当選。ところが、アメリカの高等弁務官は選挙法を変え、共産主義者の被選挙権を認めないとして、瀬長市長を公職追放した。その間、米兵による犯罪が多発。民主主義国にあるまじき植民地に等しい扱いである。


 65年6月、上地さん読谷高校3年の時、読谷飛行場で落下傘降下演習中に、民家密集地に降下してきたトレーラーに棚原隆子ちゃんが圧殺された。高校のグラウンドで抗議集会が開催され、上地さんら高校生も事故現場までデモ行進したという。アメリカは許せない国だ。

 

 

 

 

 

 

 

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