新発田城を背景に
31日(月)曇。昨日は国会包囲をはじめ、戦争法案反対のデモが全国を揺るがした。国会包囲は警察発表が3.5万人などふざけた数字だ。集会開始時のあの4車線の道路を埋め尽くした航空写真を見ただけで、あり得ない。警察は嘘の発表さえやるのだ。リテラでは35万人だったと。桁が違う。
私は残念ながら、ベトナムからのお客さん接待で参加できず、新発田城、清水園、寺泊魚市場、岩室温泉と案内して回った。寺泊では9条の会が反対を呼び掛けていたので、手を振って激励した。外国人との出会いも大切にしてきたおかげで私の視野も広がっている。
これらのデモに対し、礒崎首相補佐官は「車道に人が溢れない限り、数十万にはならない」百田に至っては「アルバイトで動員された若者」櫻井よしこは「朝日、東京、中日などの新聞により歪められた情報に不安を煽られている」ジャーナリストが聞いてあきれる。
安倍政治を許さない玄関で 今朝の新聞に米日財団理事長のジョージ・パッカード氏が大事な発言をしている。「最大の懸案は沖縄の基地問題だ。なぜ普天間飛行場の海兵隊が必要なのか、誰ひとりとして納得できる理由を示していない。駐留を続ける最大の理由は、沖縄が安上がりで簡単な上、自軍に多大な犠牲を出して手に入れた土地を手放したくないからだ。沖縄県民の苦しみから目を背け、願いを無視し続けることは日米両政府の汚点だ」核心をついている。
沖縄問題を追っていると、アメリカの明らかな人種差別的対応にも腹が立つが、それ以上に沖縄の長期占領を望んだ天皇メッセージや72年の沖縄返還の際に、沖縄海兵隊を米国本土に引き上げる提案がなされたのに、日本政府が引き留めた事実に腸が煮えくり返る。
60年、祖国復帰協議会が結成されるが、折しもベトナム戦争が激しくなり、数十万の米兵の駐留、犯罪や事故の増加、嘉手納基地にはB52爆撃機が配備され、沖縄が出撃基地となった。上地さんはそんな中、66年、国費留学生として、新潟大学理学部に入学した。
萬代橋を背景に 大学卒業後、大手民間企業に就職が内定していたが、学生運動の経歴がバレ、取り消しになったという。その後は新潟県教職員組合新潟市支部の専属書記として、県内の労働組合運動をリードしてきた。退職後は、毎年沖縄へのピースツアーを組織している。
上地さんは大学入学の際は外国人扱いでパスポートを持って本土に入国しなければならなかった。72年の沖縄返還は「本土並み」と言いながら、実態は何も変わらないどころか、返還後、安保条約6条と日米地位協定により、米軍基地の借主は日本政府になった。私たちの税金で沖縄の広大な米軍基地の地代を払っていることになる。日本政府はありもしない核抑止論を使って戦後70年間も沖縄県民と日本国民を騙し続けてきたということである。