旗のない集会
12日(土)連日の集会・デモで少々お疲れ気味。昨夜は149回目の金曜行動参加。今日は午後から県労連、自由法曹団などの呼びかけの「盗聴法拡大反対、戦争法案阻止」の集会。関東、東北の洪水による被害、安倍はすぐには動かず、戦争法案の打ち合わせを優先させていた。
リテラ情報だが、10日午前10時39分インタビューで「災害対策に万全を」と言っただけで、その後、外務省、防衛省の関係者、公明山口代表などと、戦争法案採決に向けて、先日国会で共産党に暴露された内部文書への対応を協議していたという。全く許しがたい話だ。
9日の集会前に久しぶりに新潟駅前のジュンク堂(市内最大の書店)をのぞいて驚いた。政治や歴史のコーナーは櫻井よしこや百地章、渡部昇一など日本会議所属のメンバーの著書に乗っ取られたかのよう。嫌韓、反中を煽るような本がずらり。恥ずかしい国になった。
お坊さんも反対
早乙女勝元氏だったと思うが、韓国を取材で訪れた際、本屋に立ち寄り、嫌日、反日の本を探したが、見当たらず韓国人に聞いたら、「そんな本はありません、置いても売れませんよ」とのことだったと。日本のこの恥ずかしいほどの隣国バッシングは何なのだろう。
図書館から借りた、その早乙女氏の「穴から穴へ13年」-劉連仁と強制連行―を読み進めているが、再び私の心に火が付いた。日本の過去を炙り出す作業を100回以上にわたって書いてきたが、まだ不十分だった。徹底的にほじくり返し安倍支持者に反省を迫りたい。
ちょっと注意していれば分かったはずなのに、この本を読むまで気づかなかった。つまり、劉連仁さんらおよそ4万名に及ぶ中国人強制連行を進めるもとになった42年11月27日閣議決定の「華人労務者内地移入ニ関スル件」は東条内閣で商工大臣だった安倍の祖父・岸信介主導だったこと。いわば強制連行担当大臣だったのだ。皮肉な巡り合わせというべきか、
両サイドをデモ隊で
なんと、劉連仁が発見された1958年2月当時の内閣が岸内閣で、当然このことが国会で問題になった。衆院外務委員会で社会党の田中稔男議員の質問に岸は「その事件は知っている。近く送り返すことにしている」(3月12日)送り返す?この冷たさは孫の晋三に受け継がれている。
さらに4月9日には次のように答弁。「政府として当時の事情を明らかにするような資料がございませんし、それを確かめる方法が実は現在としてはないのであります。そういう本人の意志に反してそれを強制連行するという趣旨でないことは、あの閣議の中でも明らかでありますが、しかし、事実問題として、強制して連れてきたのか、或いは本人が承諾してきたのか、これを確かめるすべがございませんので、政府としては今の時代になって明らかにするということは、到底できないと思います」まるで安倍晋三の従軍慰安婦問題に対する答弁とそっくりではないか。岸がないとした「資料」(外務省報告書)は2年後雑誌「世界」で公表された。