牧歌的なフエの街
18日(日)昨夜は晩酌をしながら、ヤクルトの応援。ヤクルトファンではないが、巨人嫌いである。原政権を見ていると安倍政権と重なる。金の力で球界を牛耳る巨人の体質が嫌いである。野球賭博の疑いをかけられて、高校野球なら出場辞退が本当じゃないのか。
日本をアメリカの属国にしているのははっきり言って、日米地位協定である。その名の通り協定であって、条約ではない。条約は発効するためには相互国の議会の承認が必要である。裏を返せば、条約に書き込めないような不都合な部分を協定や交換公文にする。
人間というのは、悲しいもので、長い間同じ体制下に置かれると、そのことに疑問を持たないばかりか、それが当たり前であるかのように思ってしまう。例えば、公務員の政治活動禁止をうたう国家、地方公務員法もその一つだし、日米地位協定がそうである。
のんびりと なぜ戦後70年経っても米軍が日本に駐留しているのか。日本は戦争に敗北しアメリカ軍に占領された。それはやむを得ないことだった。その後、6年8か月後の52年4月28日、サンフランシスコ条約が発効し「独立」したのに、とんでもないトリックが仕掛けられた。
SF講和条約第6条には「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後,なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない」とあった。ポツダム宣言12項にも「占領軍はただちに日本国より撤退する」と。
ところが、事実は基地はそのまま残り、条約発効時の占領軍26万人もそのまま駐留を続けた。名前が在日米軍に変わっただけ。なぜかというと、SF条約第6条の後半に(日米の協定によって「外国軍隊の日本国の領域における駐屯又は駐留を妨げるものではない」
タクシードライバーと 植民地や属国でない限り、国家間の条約では、協定を結んで他国に軍隊が駐留するときは場所や基地の名前をはっきりと明記するのが常識だというのだが、現にアメリカが韓国やフィリッピンと結んだ協定では明記されているのに日本だけにそれがないという事実。
それが52年4月に発効した旧日米安保条約と日米行政協定(60年の安保改定時に日米地位協定となる)これが日本独立の正体だというのである。その後、現在に至るまで、国内に駐留する米軍については、日本政府には何の権限も拒否権も与えられていないという。
アメリカのニューメキシコやハワイでオスプレイの飛行訓練について反対運動が起き、事実上無期延期になったのに、日本でいくら反対運動をやっても、民主党政権時、野田首相が「米軍にどうしろこうしろとは言えない」と発言した根拠はここにあったのだ。