フエの大衆食堂
19日(月)快晴。昨日は婦人団体主催の「教科書カフェ」に講師として呼ばれ、今年度の教科書採択の実情や育鵬社版教科書の問題点について話をした。参加者は10名、若いママさんの参加はうれしいことだった。今後狙われるであろう戦争する国造りを支える教育への介入。
2年後に小学校で、3年後に中学校で道徳の教科書の採択が行われるが、育鵬社はすでに3年前に「13歳からの道徳教科書」を市販しており、採択に向けて着々と準備を進めている。その内容には乃木希典や栗林忠道など軍人が2人も登場し、式年遷宮と日本人の心という項目もある。
08年には日本会議のメンバーが中心となって「道徳教育をすすめる有識者の会」(代表世話人・渡部昇一)が設立されており、産経新聞を通して宣伝に努めている。その中に「今一度戦前のような師範学校をつくり、日本における道徳教育の教師を養成せねばならぬ」というメンバーの発言も。
これがタクシーのシクロ 前泊氏の著書には驚くことばかりだ。戦後70年「今でも東京をはじめとする30の都道府県には、米軍が駐留し、事実上の治外法権(日本の法律にしたがわなくてもよい権利)を与えられているのです」こんな信じられないような植民地並みの駐留を認める国はない。
その異常さは、やはり他国の例と比較する方がわかりやすいのだが、それは後日に譲ることにして、日米地位協定の内容からみてみたい。この協定は60年1月19日ワシントンで結ばれている。その前身である日米行政協定は52年、外務省でひっそりと結ばれたと。
前泊氏は戦後47年に外務次官を務め、後日、対米従属路線をすすめた吉田茂と衝突して辞任した寺崎太郎氏(昭和天皇の通訳を務めた寺崎英成の兄)が書き残した旧安保条約と行政協定の締結の経緯を引用している。重要な部分で長いが、転載させていただく。
アオザイ姿の高校生「安保条約締結の場は、同じサンフランシスコでも華麗なオペラハウス(講和条約)ではなく、米第6軍司令部(日本占領部隊)の下士官クラブだった。これはいかにも印象的では。吉田一行と日本国民に『敗戦国』としての身のほどを知らせるうってつけの会場」
「ところで、安保条約に対する第一の疑問は、これが平和条約のその日に、わずか数時間後、吉田首相ひとりで調印されていることである。という意味は、(略)まだ主権も制限されている日本政府、当然きわめて秘密裡に、すっかり取り決められ、独立国の条約ではない」
「周知のように、日本が置かれているSF体制は、時間的にはSF講和条約―安保条約―行政協定の順でできた。だが、真の意義はまさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかった。本能寺は最後の行政協定にこそあったのだ」