第5軍の陣中日誌
20日(火)曇。安倍政権の感覚が完全に庶民感覚とはずれている。沖縄辺野古基地への移設計画で周辺環境への影響を監視する有識者メンバー2人が移設関連事業者から一人約1000万円寄付を受け取り、その事業もチェックしていた。菅官房長官は何の問題もないと。
15日、櫻井よし子は仙台の講演会で「あの戦争」とか「先の大戦」とひとくくりにして日本の侵略戦争だったというのはおかしいと。「先の戦争」は天皇が使ったことばであり、天皇をも批判している形だ。又「日中戦争は国際秩序を乱した中国にも問題があった」とも発言。
この講演のタイトルが「日本人として正しい歴史認識を」というのだから、多くの近現代史の研究者と真逆の説を説く自分の歴史観が日本人が持つべき正しい歴史観だと主張している。近現代史、とりわけ東南アジアの研究者としては琉球大高嶋伸欣氏と関東学院大林博史氏がいる。
高嶋・林共著マレーの日本軍 この二人は長らくマレー半島に通い、現地の人々の証言を集め、国内で当時の「陣中日誌」を発掘するなどしてその都度発表してこられた。特にネグリセンビラン州における華人虐殺をまとめた「マラヤの日本軍」は現地華人団体「中華大会堂」の協力によるもの。
安倍政権が南京虐殺さえなかったことにしたい思いは育鵬社版教科書に現れており、本文には「南京を占領した」だけ、脚注に「被害者数などの実態については様々な見解があり、今日でも論争が続いている」改定された検定基準に基づき政府見解を書かせたのだ。
最大手で新潟市も採択した東京書籍版でさえ、本文に「女性や子どもなど一般の人々や捕虜を含む多数の中国人を殺害しました」と書きながら、犠牲者数については、脚注に移し、『南京大虐殺』とも呼ばれましたと紹介しつつ「いまだに確定していません」と。
マラッカの虐殺証言集 41年12月8日、真珠湾奇襲より2時間早く、日本軍はマレー半島の付け根に奇襲上陸、12月19日ペナン陥落、翌年1月1月11日クアラルンプール占領、1月31日ジョホールバルに達しマレー半島全体を制圧。2月8日シンガポールに上陸したが2月11日の紀元節陥落はならず。
2月15日シンガポールは陥落し、国内では全国各地で提灯行列。その間、マレー半島各地で虐殺事件を引き起こした。中華大会堂は「日本統治期センビラン州華人受難史料収集委員会」が80年代に発足し、証言の収集、遺骨の収集、記念碑の建立などを進めてきた。
編集委員会の邱金福氏は「日本軍の三年八ヵ月にわたるマレー半島占領で、一般の市民は故なく侵略者に迫害、拷問、銃殺、刺殺、姦殺、焼殺・・され、あまつさえハシケで運ばれ、海中に投げ込まれた末に機関銃で射殺されたのである」具体的証言は次号以降に。