• 海外赴任時の車の売却はJCM

お気に入り一覧 お気に入り登録 お気に入り解除

NO3229 歴史の偽造・東南アジアでの虐殺(17)

フエの街角の小食堂

フエの街角の食堂 20日(火)今日は年金組合の執行委員会。年金問題に新潟市で混乱をもたらしているBRT(

連接バス)の問題に話が集中した。アベもシノダ(市長)も倒さなければならない。二人に共通しているのは、国民、市民のための政治ではなく、企業のための政治だということ。

 

 戦前回帰の動きが加速している。放送大学の単位認定試験問題を巡り、大学側が「現政権への批判が書かれていて不適切」として、試験後に学内サイトで問題を公開する際、該当部分を削除していたと。出題した担当教授・佐藤康宏氏は抗議して辞任を申し出たと。

 

 問題文は「画家が戦前・戦中に弾圧されたり、逆に戦争に協力したりした歴史を解説した中で『平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった』」を学生が大学側にメールでの疑義だった。

 

子ども用の椅子が特徴
子ども用の小さな椅子が特徴 それに大学側が過剰反応したということか。果たしてそれだけなのか。自民党なり政府筋を通した圧力があったのではないか。最近、マスコミをはじめ、自治体等への日本会議系の活動家による圧力や画策があちこちで表面化している。ナチスの親衛隊のようだ。

 

 前に紹介したように、陸軍大本営の基本方針が「現地調達」(後方支援なし)だったため、当然のことながら、食糧、物資の略奪に結びつかざるを得ない状況だった。高嶋・林両教授の調査でネグリセンビラン州(KLとマラッカ間)だけで受難地点が30か所に及ぶ。

 

 この州での最大の悲劇は当時200所帯が居住していたイロンロンで起きた。42年3月18日午後、日本軍に襲われ、1474人の老若男女が殺され家は完全に焼き払われた。この事実が日本人に明らかにされたのは76年、当時の日本大使館に要請文が提出されたことによる。

 
街角の小学生

街角の小学生 簫月嬌さんの79年6月1日の証言「当時私は14歳、姉は19歳だった。当日の午後3時過ぎ。日本軍が到着した時、母と弟は外出中で私と姉が家にいた。掃除中、頭を上げると、武装した日本軍が住民を益群学校に追い込むのが見えた。危ないと察知して姉に知らせる」


 「簡単な荷物を持ち裏門から出て、先ずは近くのパイナップル園に逃げ込んだ。当夜は猛烈な雨が降り注いでいたにもかかわらず、殺害される人々の凄惨な叫び声がしきりに聞こえ、私たちは震え上がった。結局母と弟は殺された。姉はかねての婚約者と結婚した。

 

 飢饉にさいなまれた3年8か月の間、人々は死神と闘い、タロイモやサツマイモ、タニシ、カエルを食べて飢えをしのいだ。栄養不良で人々の腹は膨れ、顔は青く、目は突出して異様な形相となった。(略)日本の降伏により平和が戻り、抗日軍を熱狂的に歓迎した」

続きを読む

このブログの最新記事

これで漏れ無し!海外赴任前の準備方法

チャートとチェックリストを使って、
海外赴任前の準備項目を確認しながら情報を収集して準備に備えましょう!

海外赴任準備チェックリストを確認する

書籍版のご案内

海外赴任ガイド 到着から帰国まで

書籍版「海外赴任ガイド」は各種ノウハウや一目で分かりやすい「海外赴任準備チャート」などをコンパクトな一冊にまとめております。海外赴任への不安解消に繋がる道しるべとしてご活用ください。

書籍版の詳細

プログライターの方

海外赴任ブログを登録する

あなたのブログを登録してみましょう!

プログライターの方

海外赴任ガイドのSNS

Twitter アカウントをみる

たいせつにしますプライバシー 10520045