御田重宝著・マレー戦より
25日(日)晴。南京虐殺事件の世界記憶遺産登録を巡って、日本政府によるユネスコに対する脅しとも取れる発言が世界からの批判を広げているという。当然だ。さらに自民党の「国際情報検討委員会」委員長・原田義昭が「虐殺は捏造」だと言い切ったという。
TBSラジオ番組「荻上チキ・session-22」のロングインタビューで荻上氏に問い詰められても何も答えられず、ただ「捏造」だと自由主義史観論者の主張を繰り返すのみ。詳しいやり取りはリテラhttp://lite-ra.com/2015/10/post-1616_2.html に載っている。
安倍政権の中国、韓国憎しの政策に煽られて、国民の歴史認識まで歪められつつあるが、「南京発虐殺事件」というべきだという研究者もいるように、東南アジア各地で南京と同じ手口で繰り返されていた事実はほとんど報道されない。私の発信はそこを意識する。
マレー半島を南下する日本軍 私が東南アジアでの虐殺事件に関心を抱き始めたのは、シンガポール日本人学校在任中、生徒たちの現地民(校内には中国人やマレー、インド人の職員がいた)に対する横柄な態度が気になり、その理由を考えると、占領中の歴史を知らないからではないかと思った。
私自身も親たちもそれほど詳しく知っているわけでもなかった。私は生徒と日本人墓地を調査したり、日本人学校の前にあったシンガポール大学の図書館に通い、古くからの在留邦人に聞き取りをしたりして、2年間で「社会科資料集シンガポール」をまとめ上げた。
帰国後、その調査を元に日教組の全国集会で「シンガポールにおける皇軍の虐殺」をレポートしたところ、ある研究者と出版社の目に留まり、拙著「シンガポールの日本軍」(86年)上梓となった。シンガポールが中心だが、マラッカでの虐殺事件も挿入してある。
バンザイする日本兵(シンガ中学教科書) 戦後、東京裁判とは別に世界各地でBC級裁判法廷が開かれた。そのうち、シンガポールでの裁判は世界最大のもので、135名に死刑判決が下されている。この裁判の記録がマイクロフィルムになって大学図書館に保管されていた。そのコピーを手伝ってくれたのは中国系職員だった。
そこで初めて、私はアンダマン事件、カーニコバル島虐殺事件をはじめ、マレー半島、ボルネオ(現カリマンタン島)、ジャワ、スマトラ島、フィリッピン等すべての地域で虐殺事件があったことを知った。知らないことをこれほど恥ずかしいと思ったことはない。
私の驚きは、裁判の結果処刑された被告の中に将官はたったの2名、5名は終身刑。一方木村久夫氏のように、通訳を務めただけの学徒兵や監視役にさせられた朝鮮人、台湾人のようなC級戦犯が多く含まれている理不尽な裁判であった事実も知るところとなった。