*写真はすべてシンガポール中学校の教科書から
シテイホール前を行進する日本軍
26日(月)晴。こうして書いていると、30年前の記憶が鮮やかに蘇ってくる。85年夏、私は拙著執筆のため、サークルの仲間とともにシンガポールからマレーシア、タイまで取材旅行をした。日本軍とは逆の道をたどり、ジョホールバルでタクシーを拾った。
偶然、ドライバーはマラッカ出身で陳さんという日本占領時、7~8歳だったという中国系の人だった。マラッカでは行きたいところが2か所あった。華僑殉難碑と明星慈善社(中華総商会)である。華僑殉難碑前で陳さんは碑文を読みながら、「たったの千人じゃない3千だ!」と叫んだ。
自分が子供の頃の体験。「子どもを空に投げ上げ、銃剣で突き刺したんです!」と。この話は前掲の「マレーの日本軍」にも同じ証言が出てくる。陳さんは近くからキャッサバというイモを掘り出し「これが私たちの戦時中の主食でした。米はすべて徴発されました」
降伏した英軍を先導する 「日本占領中の3年8か月、私は一日も学校に行けなかった。学校がなかった。(日本軍が閉鎖)みんなもそうだったと思う」と。私たちが戦時中のことを詫びると「今の日本人は親切です。若い世代は昔のことにこだわらず、仲良くすべきです。戦争はごめんです」
このことである。過去に犯してしまったことはしっかり謝罪して、仲良く交流して、二度と過ちを繰り返さないようにするのが人間の知恵なのに、アベは被害者の心を逆なでし、せっかく戦後70年、多くの人たちが築き上げてきた努力を無にしようとしているのだ。
「許そう、しかし忘れまい」という言葉は標語のように東南アジア各地で聞いた。タイ・カンチャナブリの日本軍が立てた捕虜収容所の前にも古ぼけた看板にこの言葉が掲げられていた。今は表面化しない事件でもアベが否定すれば、一気に反感を呼ぶことは間違いない。
日本占領中の物価の混乱 84年の帰国を前にどうしてもお会いしたい方がいた。私より一年年配のシンガポール最大華字紙「南洋・星州聯合早報」論説委員の卓南生氏である。氏の言葉が忘れられない。「日本人の親日的という言い方は間違っています。親日分子を利用し、反日分子を粛清した考え方に通じる」
「友人の多くは欧米の大学に留学したが、私はあえて日本を選んだ。(早稲田大学)日本人に学ぶことがあると思ったからです。8年間も滞在して、日本は大好きです。しかし、多くの華人は、あのこと(華僑虐殺事件)を決して忘れてはいません」好きなればこその警告である。
82年4月3日の靖国参拝に関する論説記事。「もし日本がその戦争史観を改めず、依然としてあれこれと戦争を美化し、戦死者を『軍神』にまつりあげようとするのであれば、それは日本の軍備増強に対する人々の疑念と不安を募らせるばかりである」今に通ずる。アベよ良く聞け